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小学生の部
<優秀賞>
「ばあちゃんとわたし」
長岡 和泉(10歳)宮崎県宮崎市・小学4年


 「大へんだ。ばあちゃんがいなくなった」

 小学二年生の時、わたしの運動会を見に来ていた、おばあちゃんがいなくなった。その時わたしは、もしも交通じこにあってしんじゃったらどうしよう、と、いう気持ちでいっぱいだった。なぜなら、おばあちゃんはにんちしょうだったからだ。道は全ぜん分からないし、しんごうも、ちゃんと見ることができない。ダンスをおどっていても、心の中は、おばあちゃんのことでいっぱいだった。家に帰っても、ばあちゃんのことばかり考えていた。

 「今ばあちゃんは、一人で何しているの。どこまで歩いているの。ばあちゃん帰ってきてよぉ」
と、心の中でさけんでいた。なみだが出そうになった。ひっしにいのった。神様に、どうかばあちゃんをみつけてください、と。

 しばらくすると、けいさつから電話があった。電話がおわったら、うれしそうに母が言った。

 「ばあちゃんがみつかったって」

 わたしは、その言葉を聞いたら、うれしくて、うれしくて、とびはねた。そしてわたしは、こんなことは、もう、二度とないようにしたいと、思いながら、ねむりについた。

 わたしが生まれた時は、ばあちゃんは、六十才だった。おふろにいれてくれたり、公園に遊びにつれていってくれたりしたそうだ。その時ばあちゃんは、まだ元気だった。

 わたしがようち園生のころは、よく、ばあちゃんとけんかをしていた。なぜかというと、ばあちゃんが何回も同じことを言ったり、聞いたりしてきたからだ。わたしはそれが、とってもいやだった。その時のわたしは、おばあちゃんをむししたり、おこって返事をしたりしていた。そしてよく、母からおこられていた。今思うと、自分は、全然やさしくなかったと思う。

 おばあちゃんが、にんちしょうの病気になって、十年たった。ばあちゃんは七十才、わたしは十才だ。今ばあちゃんは、「かあさんの家・檍」と、いうところに住んでいる。そこには、ほかにも、病気のおばあちゃんやおじいさんが、何人かいっしょに住んでいる。そしていつも、ヘルパーのスタッフたちがおじいちゃんやおばあちゃんのお世話をしてくれている。

 ばあちゃんのにんちしょうは、この十年間でとてもすすんだ。十年前は、わたしのことを、自分の孫だと分かっていたけど、今はまったく分からない。

 「どこのおじょうさんかね」
 と、よく聞いてくる。でもわたしは、もうおこったりしない。

 「孫のいずみよ」
 と、やさしく言ってあげる。それとばあちゃんは、自分のことが自分でできなくなった。いつもだれかがそばにいてあげないといけない。歩く時も、ころびそうで心配なので、わたしはすぐにそばに行ってささえてあげる。ごはんはたくさん食べる。でも、自分で食べられない。しっかり、おはしを持つことができないからだ。だから、わたしがやさしく声をかけながら、食べさせてあげる。うまく食べられずに、こぼすこともあるけれど、いつもにこにこして食べてくれるし、その顔を見ていると、わたしも楽しくなる。

 でも、急に具合が悪くなるときがある。わたしは、その時とても心配する。ゆくえ不明事件の時と同じくらい心配する。ばあちゃんが病気になると、わたしは、はやくなおってほしいといのる。

 今日も、いつものように、自転車に乗って、「かあさんの家」に行った。ヘルパーさんたちは、毎日、おばあちゃんたちを、トイレにつれていってあげたり、おふろにいれてあげたり、食事のじゅんびをして食べさせてあげたり、話相手になったり、そうじやせんたくをしたりして、とてもいそがしそうだ。いそがしい仕事をしているのに、ヘルパーさんは、いつも明るい笑顔だ。そして、おばあちゃんたちにも、やさしくしている。だから、おばあちゃんたちも、にこにこしているんだなあと思う。

 わたしのしょう来のゆめは、ヘルパーになること。なぜなら、病気のお年よりの人たちを助けたいからだ。そして、ヘルパーになったら、だれにでもやさしく、明るい笑顔で、お世話をしていきたい。


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