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一般の部
<厚生労働大臣賞>
「私を忘れないで」
原田 眞美(京都府京都市・58歳・主婦)


 「私、生きてたらあかんのか?」。母は振り返って私をじっと見た。そしてその目からぽろりと涙がこぼれた。

 七十七歳の夫の母は認知症を患い、毎日の激しい問題行動に家族は疲労困ぱいしていた。特に体の不自由な父は目の前で繰り広げられる母の奇異な言動にイライラを募らせ、何かにつけては叱責し、どなった。それが母の症状を更に悪化させるという悪循環の中、二人を介護する嫁の私も優しい介護ができずにいた。

 特にここのところ徘徊が激しく、その日は朝から玄関を厳重に旋錠したため、母は開かないドアに怒り、「ここから出る」と言いながら廊下の壁際に並んでいる本棚を片っ端から倒し始めた。本棚をドアと思っているのだ。すさまじい音とともに本が散乱していった。私はなすすべもなく、そんな母をただぼんやり見ていた。すると音を聞きつけた父が大声で、「お前なんか生きてる値打ち無いわ、死んでしまえ!」と言い放ったのだ。

 とたんにそれまですさまじい形相で暴れていた母の動きがぴたっと止まり、前述の言葉が母の口からこぼれたのだった。涙は後から後からぽろぽろとこぼれ落ちた。気が強くプライドの高い母が初めて見せた涙だった。胸をつかれた私は思わず母を抱きしめ、「あかんよ、絶対に死んだらあかん、お母さんが死んだらみんながどんなに寂しくて悲しいか」と強く言うと、母は、「せやかてお父さんが……」と言った。「あの人はわがままでむちゃくちゃ言うてるの、生きてたらあかんのと違う、生きてないとあかんのよ」と言うと、母は子供のようにこくんとうなずき、「うん」と言った。

 それまで私は一番つらい思いをしているのは介護している自分だと思っていた。しかしその母の姿を見た時、心ならずも認知症という病気になり、どんどん分からなくなっていく自分が分かるが故の恐怖と、家族にさえ理解されない孤独を抱えた母のつらさを知って、いかに自分が傲慢であったかに気付いたのだった。かといって具体的にどうすればいいのかも分からぬままに日は過ぎ、母の症状は悪くなる一方だった。

 そんな状況に思い余った友人が在宅介護支援センターに相談し、それがきっかけで紹介された一人の精神科医との出会いが、我が家の状況を大きく変えることになったのだった。

 初めて受ける専門医の診察で、私は母を連れて診察室に入った。そこは清潔感にあふれ、落ち着いた部屋だった。先生は白衣は着ず、白いシャツにグレーのズボンをはいて座っておられた。母は初めての病院に来た不安からか、険しい表情で先生の前に腰掛けた。すると先生は居住まいを正して母の目をじっと見て、「初めまして原田さん、私は精神科医のMと申します。今から原田さんを診察させていただきますので、どうぞよろしくお願いいたします」と言うなり深々と頭を下げられた。すると母は別人のように笑顔になり、はっきりとした口調で、「こちらこそよろしくお願いいたします」と深々と礼を返したのだった。私はその光景を見て涙が止まらなくなった。認知症になって以来、まともに扱われることのなかった母を、初めて一人の人間として尊重し、礼を尽くして接してくださった先生。それに対して毎日暴言・暴力・失禁と激しい症状の母が、きちんと礼を返した。その時先生は、認知症の人に対してどう接するべきなのか、私たちが心しなければならない一番大切なことを身をもって教えてくださった気がした。

 一通りの診察を終え、母は検査という名目で看護師と共に別室へ行き、部屋には私と先生の二人となった。先生はそこで母がアルツハイマーで、もう既に五年くらい経過しているだろうと言われた。私は覚悟はしていたものの、一瞬全身から力が抜けていくような感覚がして、無言でうなずいた。先生は続けて、「ご家族としては今何を一番望まれますか?」と言われた。私はその言葉を今も忘れることができない。今まで必死で介護してきた中で、私の気持ちを聞いてくれた人などいなかった。私は戸惑いながら、かろうじて、「元の穏やかな母に戻って欲しいです」と答えた。先生は、「残念ながらこの病気は今の医学では治すことはできません。しかし認知症だからといって何もかもが駄目になるのではなく、いろんな能力が残っていて、まだまだできることはたくさんあります。今は混乱して出せないだけです。残っている能力を最大限に生かして、その人らしく時を過ごしていけるよう、家族も本人も納得のいく生活ができるようにしていきましょう」と言われた。私は暗闇のどん底から引き上げられる気がした。これで救われたと実感した。この先生がいてくださる限り、そこには希望があると思えた。

 帰り道、独り言のように母がぽつりと言った。「ほんまにあの占い師、いい加減なことばかり言うて」と。私は人目もはばからず大笑いし、びっくりしてぽかんと見ている母の顔がおかしくてさらに笑った。母はそんな私を見て、「おかしな人やなあ」と言いながら、いつしかつられて笑いだした。数か月ぶりの心からの笑いであった。  


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