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一般の部
<入選>
「マタニティ・ダイアリーズ」
木村 貴子(40歳・茨城県筑西市・教員)


 母子健康手帳が二冊。白いカバーは、「ひかりちゃん」、ピンクのカバーは「のぞみちゃん」の手帳。私たち夫婦が名付けた、おなかの中の赤ちゃんの仮の名前。色違いのカバーだが、同じE産婦人科医院で頂いたもの。

 白い「ひかりちゃん」の母子手帳は、十七週三日の記録で終わった。「ひかりちゃん」は、生まれてきたが心臓は動いていなかった。

 職場で破水。何が起こったか理解できないままE産婦人科医院の診察室にいた私。E先生は「ひかりちゃん」が生を受けられないことをゆっくりと説明して下さった。私は、緊急入院となった。主人が黙って病室に入ってきた。がまんしていた涙が初めて溢れ出た。

 羊水が無ければ、胎児は生きていけない。胎児を母体から出し、子宮をきれいにしなければならなかった。看護師さんの検診、そして不安な気持ちを取り払うように先生、助産師さんが、何度も病室を訪れてくれた。

 入院して二日目の夜、子宮口を開き、「ひかりちゃん」を産むことになった。分娩(ぶんべん)台に上がると、先生は無痛分娩の処置をして下さった。そして間もなく、「ひかりちゃん」は、私たち夫婦の胸に抱かれた。体重百三十五グラム、身長十九・五センチメートル。でも、泣かない、動かない「ひかりちゃん」。小さな小さな私たちの赤ちゃん。私は母親になることができた。主人も「ひかりちゃん」の父親になった。病室に戻った私たちの元に、新生児用のベビーベッドに寝かされた「ひかりちゃん」がやってきた。親子三人で寝る。

 翌日、K助産師さんが病室へ来て下さった。赤ちゃんは、私たち夫婦を選んで来てくれたこと、もう一度、赤ちゃんは私たちを見つけて再び戻って来てくれることを、話してくれた。Kさんは私たちと一緒に泣いてくれた。「絶対、ここで赤ちゃん、産みますから」掠れ声でも力強く私の思いをKさんに伝えた。

 吐く息が真っ白になる寒い一月の朝早く、看護師さん手縫いの小さな産着を着て、看護師さんたちが飾ってくれたいっぱいの花に包まれて、「ひかりちゃん」は小さな白い箱に納められ退院した。診察が始まらない病院の入り口では、E先生と看護師さんが静かに見送ってくれた。

 不妊治療を始めE産婦人科医院に通院するようになって七年。風邪をひいても、予防注射をするにも、薬をもらうのにも、同じE産婦人科医院に通っている。私のカルテは若い妊婦さんには負けない分厚さである。信頼するE先生に診ていただきたい、優しい看護師さん、助産師さんたちに会いたい……。私のかかりつけ、ホームドクターなのである。

 「ひかりちゃん」を見送ってから二年。妊娠の兆しで、迷わずE産婦人科医院を訪れた。「おめでとう。木村さん、良かったね」

 優しいE先生の声に、喜びが倍増した。

 私は高齢出産、そして流産経験者、さらに子宮筋腫の併発でリスクの高い妊娠である。「切迫流産」の恐れで、「就労不可」の診断をもらった。E先生は検診周期を短くし、丁寧な診察をして下さる。ピンク色の母子健康手帳には、検診記録が重ねられていく。

 ある検診日、E先生は、大きくなった子宮筋腫を診て、出産が帝王切開、大きな大学病院になる可能性があることを話して下さった。「ここ(E産科医院)で産みたいんです」私は、率直に自分の気持ちを先生に伝えた。家に戻り、先生の言葉をじっくり考えてみる。「先生は、安全に『のぞみちゃん』を私に産ませたいんだ。無事に出産をしなければ」軽率に答えてしまった自分の言葉が恥ずかしく思えた。E先生の指示に従おう。私たち親子の主治医なのだから……。

 今、妊産婦の搬送拒否や産科医療ミス等の裁判やニュースをよく耳にする。日本の産科医療水準は世界最高位だと聞いたことがある。母子共に無事に出産できるのが当たり前だと思われているためか、残念な出産には厳しい家族の思いがぶつけられるのだろう。新しい命への期待が全く正反対の悲しみに襲われるのだからしかたがない。私が同じ立場なら?

 「ひかりちゃん」の時の入院を通して、E先生の一日の勤務を知った。朝から夕方まで外来の患者さんを診る。深夜遅くの問診・出産・緊急手術。そして退院する人を気遣った見送り。E先生は、毎日、睡眠をとることができているのだろうか。慎重な診察ばかりでストレスはたまらないか。E先生の体が心配でならない。元気でいてもらわなければ。

 今日も妊婦検診日。前回よりどれだけ大きくなったか、「のぞみちゃん」に会える超音波検診が待ち遠しい。そして、優しく温かい「木村さん、赤ちゃんは、元気ですよ」を聞きたい。ピンクの手帳を持って通院する。

 私は、「ひかりちゃん」と「のぞみちゃん」二人のお母さん。白とピンクの手帳は、大切な私のマタニティ・ライフの証しなのである。


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