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一般の部
<入選>
「その意味」
芝 喜久美(49歳・埼玉県秩父市・養護教諭)


 「なんでだろう?」……四年近くたった今もこの問いがわき上がる。その度に胸と頭の真ん中が熱くなって、目がうるむ。

 平成十六年二月十六日、私は母の手術待ちの病室で従姉妹と談笑していた。「脳腫瘍と言われていたのに、脳にあったのは細菌の袋だって。それを取り除けばいいんだって。やっぱり母ちゃんは信心してたから助けられたねえ」「よかったねえ、じゃ後は娘に任せて帰るよ」従姉妹を見送りながら、私は安心しきっていた。……私ばかりでなく父を始め、母の周囲にいた人々、そして医師団も「手術後は不自由だった右半身が元に戻り信州に帰れる」と信じきっていた。

 夜の廊下は静かだった。私はその廊下の壁に寄りかかって、腰を曲げてやっと立っていた。今、目の前で起こった急変に、私はドラマを見ているような気がしていた。

 母の術後を見に来た看護師さんが、母の意識が朦朧(もうろう)としているのに気づき、呼ばれた医師がバタバタと母の病室に入って行った。医師が母の名前を呼び続けた。答えない母が私の目の前をストレッチャーで通りすぎた。

 私は今まで聞いたことのない音を感じた。何かが崩れ落ちるような音。握りしめた手がふるえていた。

 夜中の電話で医師は、「お母さんは脳膿瘍(のうよう)の手術後、血管がもろくなっていて脳内出血を起こされたようです」と告げた。

 翌早朝に母の姿を見て、私はただ、ただ涙しか出て来なかった。人工呼吸器・点滴の管・導尿管・血圧マンシェット・爪にはめた酸素計・頭頂部から出ている排膿ドレーン。「いったい何本につながれているんだろう?」と数えた程、あらゆる管がつり下がっていた。

 「脳内出血を抑えるために眠ってもらっています」と医師が言った。でも母は気持ちよく眠っているとは言い難かった。鼻血が止まらずに夜中までかかったという。鼻が腫れて顔がむくみ、大きなガーゼがあたっていたし、私も自慢だった母の細くて長い指はむくんで動いてはくれない。

「何で? どうして?」。
叫びたい程多くの問いがぐるぐる回っている。「ここ一週間が山です」と告げる医師のことばに父の肩ががっくり落ちた。俯(うつむ)ききった父の背中が忘れられない。

 私はぼんやりと十日前の景色を思い出していた。「雪が降らずに助かるよ」と何だかおしゃべりになった母を助手席に乗っけて私は、埼玉の大学病院に向かって車を走らせていた。沢道の冬枯れを睨(にら)みながら「母ちゃんを絶対良くして戻って来たい」。そう強く念じた。

 六月の半ば、私は母を助手席に乗っけて、同じ沢道をフルスピードで走った。やっと母を受け入れてくれた地元の病院に向かって。母は長時間の移動に疲れて唸(うな)っていた。失語のため苦しさは唸ることで表すしかなかった。後ろで父が母の肩を支えていた。母は右半身が利かなくなり、まっすぐ座っていられなかったからだ。

 あの時「山」と言われた一週間は超えられたものの、母は失語と右半身麻痺という体で、四か月前の沢道を戻った。

「何でこの姿で戻ることになったんだろう?」堂々巡りの問いは更に増えた。

「母を治してあげたい」と思い、父から離してしまった私が間違っていたんだろうか? 不自由な体にしてしまってごめんね」。
私は罪滅ぼしのような気持ちで、毎週、埼玉と信州を往復した。どんな神様にも縋(すが)りたかった。良いということは何でもやった。音楽療法・足裏の指圧・爪揉み・山伏茸の料理。そして初めて「お百度」ということもやった。しかし、やがて母の頭の中の髄液は巡りが悪くなり、パーキンソン様顔貌(がんぼう)になって、母の笑顔は消えた。飲み込みにくくもなり、経管栄養に替わった。

 今まで私は「頑張れば何とかなる」と思って生きてきた。でも、今回思い知った。「頑張っても、頑張ってもどうにもならないことがある」ということを。

 母は花が大好きだった。四年前の春、大学病院の庭に咲いた桜、紫陽花、日日草、サルビア、すみれを車いすに乗った母と何回、眺めたことだろうか。信州の病院では向日葵を眺めたり、花梨の香りを嗅いだり、稲の花を見に道まで出たり…振り返るとその一輪一輪と母の笑顔が浮かび上がる。病院で知り合ったTさんの「私も母の介護をしたのよ。最後はお金も物もなくなっちゃったけど、母との思い出は一生の宝」ということばと共に。

 私は一人になると「人に優しくて、何の悪いこともやっていない母がどうして良くならなかったんだろう?」「『父ちゃん、死ぬ時は一緒にポックリ逝くんだよ』と言っていた母が何で三年も寝たきりになっているんだろう?」「何で『父ちゃんは心臓が悪いから私がみてやるで』と言った母が父に介護されているんだろう?」「その意味は何だろう?」と遠くに向かって問うてしまう。そして母にも問う。

「母ちゃん、心ん中は幸せ?」

 母は今、父に介護されている。毎日毎日、父が「どうだぁ? わかるかぁ?」と声をかける。眠りの時間が長いのに、父が声をかけるとうっすらと眼を開け、凝視する。父は「そうか、わかるか」と答えて、体温を測り、目薬をさし、鼻と耳掃除をして顔を拭く。「よく口げんかしてたのに、こんなふたりだっけ?」と思うほど大事にしている。従姉妹が教えてくれた。「父ちゃんと母ちゃんは再婚同士で同じ傷を持っているから、深いところでつながっているんだよ。父ちゃんは母ちゃんが亡くなっちゃったら、『自分も一緒に』と思っているよ」と。

 父は、仕上げにアロエクリームを「おい、お化粧だぞ」と言いながら塗ってあげる。

 この光景をみていると、私の問いは何だか軽く小さくなっていくような気がする。母が「もう問わなくていいよ」そう言いながら、気持ち良さそうに眼を閉じたような気がした。


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