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一般の部
<入選>
「人のぬくもり」
山村 順子(33歳・奈良県天理市・パート)


 金木犀(きんもくせい)が香る季節。ちいさな私の宝物を思い出す。体重五百九十八グラム、身長二十九センチメートル。「そんなちっちゃい体で、お母さんに元気をくれるんやね。こんなに早く生まれてきたんは、お母さんに似てせっかちなん? それとも、未熟なお母さんに、何か教えに来てくれたん?」。保育器のガラスに、顔をおしつけるかのように覗き込んで、娘に話しかける日々だった。

 次女の希の出産は、妊娠七か月のある日、突然の陣痛とともに始まった。今、自分の体に何が起こっているのか、赤ちゃんがどうなるのか何も分からず、病院に到着した。救急車から降りると、冷静な表情の仮面をかぶった夫がいた。その瞳の奥に、妻と娘の無事を願う強い想いがこめられているのを感じた。

 私は、赤ちゃんを危険にさらしてしまった自分を責め続け、助産師さんに「まだ産みたくない」とすがって泣いた。エコー検査の結果、次女は食道閉鎖と心臓の奇形が見つかり、染色体異常が疑われた。出産までのわずかな時間、夫の言葉が私の心を軽くした。「おなかに命を授かった時から、この子の染色体異常は決まってたんや。この子が二人をお父さんお母さんとして選んでくれたんやな」。この子が、この時期に生まれて来ることも、障害を持って産まれて来ることも、神様からの贈り物なんだと教えてくれた夫に感謝した。

 生まれてきた尊い命は、医師たちによって救っていただいた。人工呼吸器に繋がれていても、なんて愛らしいのか。あわてんぼうのかわいこちゃんは、NICUに搬送されることになった。「ありがとう」。あふれる想いを、私の指先から、その指先と同じサイズの愛しい手のひらへ伝えた。

 希は、重度な奇形が重なり合っており、18トリソミーという染色体異常であると診断された。94%が流産し、また出生しても早期に死亡する病気だ。生きることに必死に向き合っているわが子に「一人の人格を持った存在として、対応しています」と医師は言い、「出生する前に死亡する子が多い中、この世に生を受けたお子さんは生命力のある子だ」とも聞かせていただいた。その医師の言葉で、希は生まれてこられただけですばらしいことなんだと知ることができた。

 希は、保育器の中が私のおなかの中であるかのように、慎重に大切に育てていただいた。看護師さんは、毎日、温かく声をかけ優しくケアしてくださり、娘の第二の母親のようだった。「のんちゃん、おめめをパッチリ開けてましたよ」「こんなポーズが得意なんですよ」。毎日、様子をノートに記入してくださった。

 私は、母親でありながら何もしてやることができない情けなさを打ち消すように、搾乳に励んだ。どれだけ生き延びる命か分からない希が、少しでも豊かな人生を送れるようにしてあげたい。母親から離れて、小さな体で一人病気に立ち向かう希の前では、涙を見せることが失礼に思えて、弱音を吐きたくなかった。おなかの中で、私を蹴って跳びはねていた懐かしい日。言葉にしても仕方がないから、言わなかった本当の気持ち「一緒にいたいよ」「ギュッて抱きしめてあげたいよ」「これから先も、ずっと同じ景色を一緒に見ようよ」。何度も叫びたい気持ちを抑え、もがきながら、よき母親を演じていた私を助けてくれたのは、看護師の一言だった。「お母さん、わがままになっていいですよ」。ありのままの私を受け入れてくれる医師や看護師。無理しなくていいんだ。それが、とてもありがたかった。私は、希をこの手に抱きたいことを伝えた。「冷たくなってから、初めて抱くなんて悲しい」という想いからだった。

 危険を伴う手術を繰り返し行いながら、医師が感心するほどの生命力をみせてくれた希は、体重が千グラムまで増加した。

 そしてとうとう私の夢が叶った。保育器の外で、この胸にわが子を抱けたのだ。人工呼吸器を装着したまま、何人もの人の手を借りて、希はキョトンと私を見つめた。両手にすっぽりと埋まる体から、それでもずっしりと命の重みが伝わってきた。肌と肌が触れ合い、ぬくもりを感じた至福の瞬間。生まれてきてくれてありがとう。「この日のために、希は生きてきたんや」と夫は自分が抱いているかのような幸せに満ちた笑顔で言った。

 それから一週間後の生後三か月を過ぎた日、家族が見守る中、希は母親である私の腕の中で安らかにその生を終えた。管やテープがはずされ、初めて見る希の素顔は、おちょぼ口にふっくらほっぺ、穏やかな表情で、本当に愛らしく何度も何度も抱きしめた。

 希にはたくさんのお母さんがいたよ。みんなに愛されて過ごしたよ。あなたにもらったたくさんの想いは、これからの私の生きる糧になるよ。あなたのおかげで感じることができた「人のぬくもり」を大切に忘れないように生きていくからね。


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