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中高生の部
<最優秀賞>
「待合室のおじいちゃん」
小澤 明日香(東京都練馬区・16歳・高校1年)


 十年がたった今でも決して忘れられない人がいる。私に将来の夢を与えてくれた人だ。

 おじいちゃんに初めて会ったのは妹が新生児集中治療室から六階の小児病棟に移った後だった。妹は私が五歳の時に生まれたが、腎臓がほぼ機能せず体もとても小さく、生まれてからずっと入院していた。当時幼稚園児だった私は家に帰ると毎日母に連れられ病院へ行ったが、年齢が低いため病室には入れず、待合室で夜の面会時間が終わるまで待っていた。

 おじいちゃんは同じ階に入院していた患者さんだった。第一印象は、怖かった。黒ぶちの眼鏡の奥の目は鋭く、頬はこけていた。ある夜、母が病室から帰ってきた時に初めて話しかけられた。「賢い子だね。まだ小さいのに毎日一人で待って。いい娘さんですね」。母は驚いたようだが、「ありがとうございます」と言って笑った。けれど私はその言葉がすごく嬉しかったのに、恥ずかしがってお礼を言うこともできなかった。当時母は妹につきっきりで幼稚園の作品発表会にも手術と重なって来られないでいた。そんな母に私は駄々をこね困らすこともあった。夜遅く待合室に戻る母に対し「遅いよ」と言うのもしばしばだった。おじいちゃんはもしかするとそんな私をいつも見ていたのかもしれない。

 それ以来、待合室におじいちゃんが来てくれると私は色々なことを話した。だがやはり何だか怖い印象と恥ずかしさがまじって上手に話すことはできなかった。それでもおじいちゃんは、夜母が戻ってくる時にはきまって「賢い子だね」と褒めてくれるのであった。一方で母がいない時には「お母さんも毎日大変だろうに。優しいお母さんなんだね」と私に言ってくれた。

 待合室では私と同じ年くらいの子供が走り回って騒ぐことがよくあった。待合室、といっても階の一角にソファがあるような所だったので、そのような行為はとても迷惑だった。一番問題だったのは、その子供たちの親が騒いでいるのを知りながら注意一つしなかったことだ。しかし決定的な瞬間は訪れた。おじいちゃんがその子供たちが騒ぐのを目の当たりにしたのだ。いつものように点滴を引きながら歩いてきたおじいちゃんは、その弱っている体では考えられない威厳に満ちた顔でどなった。今まで看護師に注意されても全くやめようとしなかった子供たちだが今度はぴたりとやめた。母によればおじいちゃんは子供たちが見てない所でその親にも注意したらしい。

 いつしか私はおじいちゃんに会うのが楽しみで病院に行くこともつらくなくなった。後から聞いた話だが、母もそれまでつらく泣いていたこともあったけれどおじいちゃんの言葉と妹の姿が励みとなり、元気が出たそうだ。

 待合室の私と向かい側のソファに座ったおじいちゃん。その姿ははっきりと鮮明で今も心の一番奥底で輝いている。

 妹の退院と同時に私たちの家族が引っ越してまもなく、母が当時お世話になった看護師さんに、おじいちゃんが亡くなったという連絡を受けた。私が三年生の時だった。学校から帰ってその訃報を聞いた。涙がほろほろ落ちた。ついにお礼を言わずじまいになった。

 今年の七月、オープンキャンパスに行くということもあり、久しぶりにその病院に行ってきた。正面玄関を入ると大きなホールの中央に日差しを受け輝く白いマリア像が昔と変わらず立っていた。懐かしく、とても穏やかな気持ちになった。階段で五階まで上がると、妹の本当にちっぽけな姿を初めて見た新生児の病棟があった。そしてさらにもう一階上ってみる。

 待合室は昔のページからそのまま切り取ってきた、というくらいに変わっていなかった。ただ当時は大きすぎたソファがちょうどよい高さになっていた。もちろん期待などしたなどということはなかったけれど、昔私が座っていた位置に腰かけ、待ってみる。今にもおじいちゃんの点滴のガラガラとスリッパが聞こえてきそうで胸が痛くなった。向かい側を見つめるとおじいちゃんの顔が目に浮かんだ。木曜の平日で昼だったからか周りに人はほとんどいなかった。ならば少しだけ、と思い小声で近況を話してみた。周りの人はどうしたのか、と思ったかもしれない。こんなばかなことをしていてもきっとおじいちゃんなら「賢い子だね」と言うのだろうなと思うと何だかおかしかった。最後は恥ずかしがらず、「ありがとう、おじいちゃん」としっかりと言葉に出して言った。

 いつかは誰もが迎える別れと死。医療に携わる、ということは常にそれらと隣り合わせとなることだ。けれどその出会い一つ一つに計り知れない喜びがあると思う。だからこそ私は、次この待合室を訪れる時には、医師として戻りたいと思っている。そしてその夢を与えてくれた人は、私の心の奥でいつも、いつまでも、輝き続ける人なのだ。


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