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中高生の部
<優秀賞>
「夏の贈り物」
薛 沙耶伽(福岡県福岡市・17歳・高校2年)


 母とボランティアをしに病院へ行った。正確にはしぶしぶついて行っただけ。この暑い中……と私は帰りたい気持ちでいっぱいだった。病院につくまでは。そこは緩和ケアの病棟で、死を待つひとたちがいると聞かされた。死を待つってどんな気持ちなのだろう。私には想像もつかない。

 まず、病院の中に入ったら廊下に備えられた消毒液を手に塗る。そして一番奥に小さな部屋がある。そこで私たちは支度をするのである。部屋に入ると五人のおばさんと一人の女の子がいた。みんな派手でカラフルなエプロンをしめて、大きな声で喋ったり笑ったりとにぎやかだ。

「私、エプロン持ってない……」

 母が、ここでかりることができるのよと言って部屋の隅からエプロンを取り出してくれた。いつのまにか、母は色違いのエプロンをし、写真入りの名札をつけている。その名札の上の方にはボランティアスタッフと印字されている。私の知らないところで、母はこんなことをしているのか、と思った。

「今日は暑いから、かき氷をつくります」

「いいわねぇ。夏らしい」

 入院している患者さんたちに、少しでも季節を味わってもらおうという企画なの、と母が小声で私に耳打ちした。やってきた看護師さんと打ち合わせをする。この打ち合わせはとても重要で、患者さんの体調を把握するためにある。かき氷を食べてはいけないひと、とか量は少なめにとか指示が出されて、みんな真剣にメモを取る。

「あら? Sさんは」

 緑のエプロンにパーマをあてたおばさんが不思議そうな声を上げた。すると、看護師さんが一週間前にお亡くなりになりました。と聞きとれないくらいの小さな声で言った。私は、彼女の口のかたちで、ああそうなのだ、と理解した。みんなしんとする。そして受け入れる。死は、唯一私たちに決められたものなのだ、と私は痛いほど感じた。

 かき氷メーカーを駆使している横で、母は小豆をのせる係、私はシロップ係を担当した。白い氷に緑のシロップが映えて美しい。出来上がったかき氷をお盆に載せて談話室と、寝たきりで動けないひとの病室へ運ぶ。まず談話室に行くと車椅子のおじさんとおじいさんがいて、楽しそうにかき氷を食べた。そして私は母と病室に行った。二人部屋で、片方のおじいさんは信じられないくらいにほそくなっていた。死が確実に近づいている。私はその二つから目をそらしそうになった。去年の秋に亡くなった祖父とだぶってみえたからだ。死から目をそらすのはひどくずるいことのように思えた。

「あら、かわいい」

 母の言葉で廊下を見ると、二、三歳の子供がカエルの人形を持って走り回っている。私たちを見ると、にたーっと笑う。ここで働く看護師さんの子供なのだと母が教えてくれた。たえずこの子のからだから発散している、生きるというエネルギーはものすごい。この空間でそれに出会うとなおさら感動的で、貴重であると実感させられた。

 談話室に戻ってみんなで話をする。私たちの役割は、死の恐怖をやわらげ少しでも取り除いてあげるというものだ、と母が言った。おばさんたちの威力はほんとうに絶大だ。色とりどりの光が彼女たちからほとばしっているようだ。たわいもない話がこれほどまでにすごいパワーを持つのを、初めて見た気がする。おばさんたちの笑顔を助長する、あかくくっきりした口紅が目に焼きつくみたいだった。家族の人たちやみんなで写真を撮る。フラッシュの光を見て、小学校のころ習ったマザーテレサの言葉を思い出す。

「フラッシュがひとつたかれるたびに、今亡くなろうとしている人が神のみ腕に抱きとられますよう、私が笑顔を見せることでお約束しているのですよ」

 フラッシュの光を人間の命に例えたマザーテレサ。彼女もまた、死を待つひとを癒していたのだった。私はついこの前までボランティアが嫌いだった。他人の世話を焼いて得なんてどこにもない、と思っていた。でも、ここの病棟にたずさわるひとたちはみんないいひとたちだ。「いい」という言葉では表せないほどに。得が見えないところにほんとうの得があるのだ、と私は今回のボランティアで学んだ。祖父が入院していたときも私は看護するひとたちをそばで見るだけだった。見ているだけだとありがたみはなかなか実感できない。祖父を看取ってくれた看護師さんたちに今、感謝したい。あのときは逆にうらむみたいなへんは気持ちしか生まれなかったから。

 私の近くにはマザーテレサがたくさんいる。私はその環境にも、感謝しなくてはならないだろう。


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