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一般の部
<日本医師会賞>
「もうひとりの主治医」
松浦 泰子(37歳)大阪府大阪市・自営業


 母体死亡率30%。

 これが、妊婦の私に突き付けられた数字だった。妊娠する1年前に大動脈が解離し、それがきっかけで「エーラス・ダンロス症候群」という遺伝性の稀少難病であることがわかった私。確定診断を受けた当時、生検を担当した医師から妊娠出産のリスクに関する説明はなかった。というより、この難病は医師でさえよく知らないことが多く、告知した医師も詳しい知識がなかったのかもしれない。

 その1年後、いざ私が妊娠してから、産婦人科の医師が海外の文献から得た情報が「母体死亡率30%」だったのである。それでも私は出産を強く希望していたが、医師からは中絶が可能な期間中ずっと「考え直して」と言われ続けた。私が諦めなかったため、やがて出産方法についての検討がなされた。主治医が出した結論はこうだった。出産まで自宅安静。出産は経膣分娩。つまり帝王切開ではなく、下から普通に産もうというのである。

 無理を押して出産に挑むのだから、黙って従うべきなのかもしれない。けれど私は、いやな予感が拭えなかった。自然分娩に自分の大動脈が耐えられるだろうか。他にもっといい方法があるのでは……。

 私はインターネットを使い、自分と同じ病気で出産した例がないかどうかを必死で調べた。そして、ある学会での発表プログラムに目が留まった。私と同じ、エーラス・ダンロス症候群4型疑いのある妊婦さんについての発表だった。

 私は藁にもすがる思いで、発表者の先頭に名前が出ていたK医師宛てに、大学病院のホームページを介してメールを送った。自分の事情を綴ったうえで、差し支えなければ発表された論文を読ませてほしいと。

 すると、すぐに驚くほど丁寧な返信があった。『あの発表については残念ながらお見せできないのです。でも、我々はこの病気での出産について一定の指針を持っています。良ければ、こちらまでカウンセリングを受けに来られませんか? 遠方なので申し訳ありませんが、旅行がてら、ご主人と一緒に……』

 K医師は遺伝病のカウンセリングを専門とされていた。いま、頼れるのはこの先生しかいない。私はどうしても産みたい。伴侶にこの話をすると、彼も行こう行こうと言ってくれた。日時などを決めるためにK医師とメールを交わす中で、『○○旅館がおすすめですよ』『くれぐれも気をつけてお越しください』など、温かいお言葉に期待がふくらんだ。

 そして、約束のカウンセリングの日。「お待ちしておりました」と、にこやかに私たちを迎えてくださったのは、K医師だけではなかった。看護師さん、助産師さん、臨床心理士さん……。なんと総勢4名がスタンバイされていたのである。

 K医師は「遺伝子とは何か」から丁寧にわかりやすく教えてくださった。私の病気は遺伝子の異常により、3型コラーゲンが身体の中でうまく作れないこと。その結果、心臓血管をはじめとした結合組織が脆くなること……。

 説明に使われたレジュメは、4人で手分けして作ってくださったようだった。手描きの図解、蛍光マーカーのアンダーライン。助産師さんや臨床心理士さんも、それぞれの専門性を活かしてアドバイスしてくださった。

 さらに驚いたことに、先生方はたくさんの資料を、私たち夫婦の分だけでなく、もう1セット用意してくださっていた。「これを主治医の先生にお渡しください。僕からも、少しずつ考え方を変えてくださるように、お電話やお手紙で働きかけをします」

 そこまで、そこまでしてくださるなんて……。

 正午ごろに到着した時の、冬のやわらかな陽射しが、気づけば夕陽に変わっていた。K医師は4時間あまり、カウンセリングとレクチャーを続けてくださっていた。

 終盤、K医師が少し席を外された時、看護師さんが笑いながらこうおっしゃった。「びっくりされました? K先生、熱血でしょう。でも、だからこそ私たちも付いていこうと思えるんです」。本当に、私は過去、ここまで熱意あふれる先生に出会ったことがない。一番忘れられないのは、帰り際、K医師がかけてくださったこの言葉だ。

「また、何かあったらいつでも相談してください。僕は、泰子さんのもうひとりの主治医ですから」

 妊娠24週から管理入院、32週で予定帝王切開。K医師が提示してくださった指針に従い、私は無事に可愛い男の子を産むことができた。遠くにいる、でもずっと見守ってくださっている「もうひとりの主治医」のおかげで、かけがえのない息子の生がある。


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