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一般の部
<入選>
「妻よ、娘よ。」
水野 兄一(60歳)大阪府大阪市・自営業


 急性心筋梗塞で倒れる。
寒の戻りだろうか、粉雪が舞う、平成20年4月7日、午前10時30分。

 激痛ではなかった。

 胸が圧迫されるようで呼吸が苦しく、胸の上部が異常に熱い。外気に当たると治まるかと、ベランダのサッシを開けて冷気を吸うが、苦しさは変わらなかった。嫌な予感が当たったかのように、顔から脂汗が噴き出して来た。

 息を喘ぎ、悶え始める。さすがに只事ではないと察しざるを得なかった。

 明日に始業式を迎える、7歳の娘は私の異変に早くから気付いており、ずっと私の視野から外れずにいた。

 心配させぬよう、自らの動揺を隠して「病気のようだ」と話し「救急車を呼ぶ」と伝え、リュックを用意させる。指示された物を詰め終えると、私の正面に立って、腰を屈めて次の指示を待つ娘は、口を真一文字に結んで私を守る気概を見せる。

 近づくサイレンの音に反応して、隊員を迎えに走る。私に代わって名前を告げる。

 エレベーターで運ばれる私を確認して、娘は階段を駆け降りた。

 意識が薄らぎ、救急車に同乗した娘の顔を窺い見ることは出来なかったが、7歳の娘に守られている、妙な安堵感が私にあった。

 急性心筋梗塞と告げられ、緊急手術へ。頷く私に医師が「外で娘さんが待っている。お父さんもがんばって」と励まされる。

 看護師さんの優しい言葉に緊張が緩んだか、廊下でひとり、膝にリュックを抱えて心細さに涙する娘の姿が目に浮かんだ。

 ゴメンと呟き「死ねない」と体に力を入れる。亡き妻の笑顔を引き継ぐ娘よ、泣かないで、まだ、ママの所へは行かないよ。

 キミの大切なママを守り切れずにキミからママを奪ってしまった父が、キミを残して逝くものか。

 ママもそれを望まない。

 ママの哀しい顔を私は二度と見たくない。

 妻よ、キミはそこにいるんだろう。

 乳ガンで左の乳房を失ったキミに再び悪夢が襲ったのはそれからたった1年半後、ガン細胞が脳に転移して7か月。あっという間にキミは逝ってしまった。

 腫瘍が難しい場所にあった。手術後どんどん哀しく壊れていくキミに、私はただ、戸惑うばかりで、苦しく喘ぐキミを見ていられなくて「もうがんばるな」「楽になってかまわない」としか言うことが出来なかった。

 2年が過ぎたのに、あの忌まわしい“7か月”に心が疼く。 キミも心が尖ったままで、鎮まらないのだろう、私たち父娘に想いを残して去けないのか、言葉を尽くせずに去けないのか。

 キミと過ごした19年の穏やかな日々があんなに沢山あったのに、私の頭に浮かぶキミとの想い出は繰っても繰っても哀しみに心を塞ぎ、不幸に戸惑うキミの姿ばかり。

 妻よ許してくれ。

 もっと早く、キミの胸の痼りに気付くべきだった。いずれ抜け落ちるからと、友人に刈ってもらった丸坊主のその日、その髪は私が刈ってやるべきだった。

 後遺症で焦点が合わなくなった両目に涙をにじませ、口惜しさに体をふるわせるキミ。

 ひとりにして寂しかったんだね。

 出掛けて戻った私に、覚束ない足を引き摺って倒れ込むように私に抱きついて「もう少しお父さんと生きたい、娘といたい」と号泣するキミに、私は答える言葉を見つけられなかった。

 迫る死に、怖くて不安で心が折れ、崩れかかったキミの傍らに、その視野の中に“キミを守る”と私は居続けたか。

 今、娘が私に見せる“私を守る気概”を私はずっと最後までキミに見せられたか。

 娘を頼むと涙して逝った妻よ。

 約束するよ。キミとお揃いの笑顔を、この娘から決して失わせることはしないと。

 私はもう少し生きる。

 キミとの想い出を、ひとコマずつ楽しい場面に変えながら、そして娘がキミに誉めてもらえる立派な大人に成長した時、キミのその笑顔を娘と並べて見せてくれ。

 退院したら、アルバムからとびっきりの笑顔のキミを引っ張り出して、眺めて話すよ、 キミとの素敵な想い出をいっぱい、 この娘に。


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