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中高生の部
<優秀賞>
「真夜中の子守歌」
長濱 理生子(15歳)埼玉県白岡町・中学3年


 私には、お母さんが看護師である友人がいます。この前、そのお母さんが仕事を辞めた話を母にすると、
「看護師さんは、辞めても引く手あまたで、いつでも仕事があるのよ」と言いました。重ねて、
「仕事が大変だから、辞めてしまう人も多くて、資格を持っているのに続けないというか、続けられない主婦の人が沢山いるらしいわよ」と続けました。

 確かに、看護師さんの仕事は、想像以上に大変です。私には、目に焼きついている光景があります。

 それは今から8年前、私が1年生の時の出来事です。私は扁桃腺とアデノイドの切除手術で、小児病院に入院しました。何かの手違いで、予定された病室ではなかった事を、何人もの看護師さんが謝るので、申し訳ないくらいでした。

 私は、ナースステーションと廊下をはさんだ4人部屋になりました。両親と、他の3人に挨拶をしたものの、返事がないのが少し気になりながら、消灯になり、両親は帰りました。

 入院初めての夜で、なかなか眠れません。何度も、看護師さんが様子を見に来て下さり、必ず、私の足元のベッドの男の子の所に寄っていました。

 暫くたってから、明るさに誘われナースステーションを見ると、全部柵のある小さなベッドが部屋に入れられ、私の足元に入院していた小さな男の子が、その中で看護師さんたちに、何か話しかけているふうでした。

 その時は、私と同じように眠れないのかなあ、と思いました。

 そして、私もいつの間にかうつらうつらと眠り、今度は小さな歌声で目が覚めました。また覗くと、さっきの男の子を看護師さんが背中におぶい、子守歌を歌いながら、自分の仕事で動き回っているのです。

 男の子は、おぶう程の赤ちゃんには見えず、足が看護師さんの腰の下まであり、重そうにも見えました。私は「何だろう、看護師さんも大変だなあ」と考えながら、休みました。

 翌日から、私は学童用の病室に変わり、食事の時の食堂でも、あの男の子に会う事はありませんでした。

 私の手術も終わり、シャワーが許可になりナースステーションを通ると、また、あの子が柵ベッドに入り、いました。

 それから私は、また気になり始め、トイレの帰りなど時々覗いて、あの子の存在を気にしていました。

 ある時、私の所に検温で来てくれた看護師さんが、
「あの男の子はねえー」と、私が何も聞かないのに、話してくれました。

 それによると、生まれつき目が見えなくて、耳も悪いのだそうです。ですから、4歳の今もまだ言葉が話せず、その上、どこか内臓も障害があるので、ずっと病院で過ごし、退院した事がないのだそうです。お母さんは、入院代のために仕事に追われ、面会時間には来られず、毎日、早朝、そっと顔を見に寄るのだそうです。

 そんな訳で、あの男の子は昼夜の生活のリズムがなかなか身につかず、不安からか、人のいる所が好きなので、看護師さん全員でお世話というか、サポートしているとも聞きました。そして最後に、
「私たちのアイドルなのよ」とつけ加えました。

 あれから時がたち、看護師さんの仕事の大変さを知るにつけ、あの光景が目に浮かび、看護師さんのにこにこと話してくれた顔を思い出します。

 『看護』と、ひとことで済ませるには申し訳ない、医療の従事以上の行為です。

 私は、医療が、表に出てこない看護師さんたちの仕事の上に成り立っている事を、折につけ感じています。

 でも、医療事故での新聞記事で、ある看護師長さんが
「私たちの仕事は、何もなくて当り前、あるとマスコミから叩かれる仕事です」
と話されたのを読みました。

 何にも代え難い、残念なことです。

 お世話になった私たちの「ありがとう」という感謝の気持ちと、仕事の大変さが相殺出来ない現場なのでしょう。

 ですから、少しでも看護する方の地位が認められ、もっともっと多くの人が「看護師さんがいるから、自分の治療がある」と感謝の気持ちを持つ事が当たり前になって欲しいと思います。

 あの時の看護師さんが、大変さを微塵も感じさせず、あの男の子に接していた顔は、とてもすてきでした。


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