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平成27年(2015年)12月5日(土) / 南から北から / 日医ニュース

ビートルズのいた風景

 1970年春、僕らはある場所に向かって朝焼けの中、黙々と歩いていた。目指すは有楽町スバル座。開演は、9時。僕らはその4時間前に着くべく家を出発し、まさに一番乗りであることを感情的に確信していた。だって、どこに一映画の封切に一番乗りしようとして4時間前に出てくる人間がいる?
 ところが、いたのだ。我々は当時中学生。僕らの先を歩いていたのはたった1人。高校生らしき女の子。まさか目的が同じだとはゆめゆめ思わず、先に行かせてしまっていた。ダッシュしていれば我々が1番だったのにと思った時はもう既に遅かった。そう、ビートルズのLet It Beの封切だったのだ。悔し紛れに僕らは、その日4回見た。2回はしっかりと、残り2回はリハーサルの時は寝ていて、屋上のコンサートが始まったらにわかに起きて真剣に見た。当時の映画館は自由席で入れ替えもなかったのだ。
 僕とビートルズの出会いは、もう少し前。小学校の高学年の時だ。当時は、洋楽ファンはほとんど二分という状態。つまり、ベンチャーズ派とビートルズ派だ。
 どちらかと言うと男子受けベンチャーズ、女子受けビートルズと大まかに言えたと思う。硬派を自認していた僕は、当然ベンチャーズ派だった。
 また、同じ頃、ボーリングが大ブームで猫も杓子もボーリングをやっていた。僕の行きつけのボーリング場にジュークボックスがあり、何となくビートルズの曲を掛けてみたのだ。それが、僕をベン派からビー派に変えた出会いだった。「が~ん! こんなにすごいんだ」という何とも言えない背筋の寒くなる感動に打ち震えたのを覚えている。
 その曲は、Hello Goodbye。その旋律の美しさ、完璧なコーラスの透明感、凡人には想像できない構成。完全に打ちのめされた僕は、その後の人生をビートルズのいる風景の中で歩んで行くことになる。
 考えてみれば、日本人というのは人を派閥化するのが大好きだ。
 先ほどのベンチャーズ派、ビートルズ派もそうだけど、どっちも好きと言う人はきっといるだろうが、そういう人は穏健な性格の人が多くて声を大きく主張しないから、あまり目立たないのだろう。その一方、どちらかの派閥にどっぷりの人は声高に自分の正当性を訴えるからけんかになってしまう。本当はどちらでもいいことがほとんどなんだけど。
 高校に入っても、ビートルズどっぷりだ。ただし、雰囲気が少々異なる。ビートルズの中で派閥ができたのだ。つまり大きくはポール派、ジョン派だ(ジョージ派は極めて少数、ましてリンゴ派なんていうのはまずいない)。
 ビートルズは1969年に解散しているので、僕らの高校時代は、ビートルズのメンバー達が盛んにソロアルバムを出した頃と重なるからだ。ビートルズという共通項を持ちながら、枝分かれしていくという感じだろうか。
 僕は完璧ポール派。現在も、ポールの音は全て追っている。僕も60歳近くなり、人間観察力もそれなりにできてきて、最近ふとポールのことを考えることがある。本当はどんな人間だったんだろうって。考えた結果、きっと嫌なやつだったんだろうなあと。まるで、天下人になった豊臣秀吉みたいに。
 Let It Beの一場面。ポールとジョージがリハーサルしている。ジョージが弾いたのを聞いて、ポールがそうじゃなくてこんな感じで弾けないかなとギターではなく、ベースで弾いてみせる。楽器をやっている人なら当然分かると思うけれど、ベースでギターのフレーズを弾いてみせるのって、嫌味以外の何ものでもない。それでジョージが言う。分かったよ、君の言うとおりに弾けばいいんだろう。当然、解散する。こんな嫌なやつがそばにいたら。
 その後、ウイングスでもギタリストにポールが殴られるということがあったけれど、きっと同じようなことが繰り返されたんだと僕は確信している。
 と言う訳で、当時は、ビートルズの解散はヨーコ悪人説に加担していたんだけれど、今となってみればポールが元凶、それが僕の個人的結論だ(もちろん、僕も大人になったから正当性を声高に言うつもりはない)。

(一部省略)

東京都 田園調布医師会会報 第190号より

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