閉じる

平成29年(2017年)4月5日(水) / 南から北から / 日医ニュース

収集癖

 先日、妻が血相を変えて飛んできた。聞けば、小学生になる息子のランドセルの中に石がゴロゴロと入れられているという。どうやらイジメで石を詰められていると思っているようである。
 しかし、その石を良く見ると色が奇麗であったり、面白い形をしていたり、どれもレアな一品なのである。
 私はピーンときた。これは収集かも。案の定、長男の机の引き出しには石が奇麗に並べられて展示してあった。彼は、学校帰りにレアな石を見つけては拾って帰っていたのである。
 妻は、ゴミのようなものを拾って帰る息子を、病気かもと心配していたが、そんなことはない。なぜなら私も、子どもの頃に石を集めた経験があるからである。特に、川の中には深緑に輝く翡翠(ひすい)に似たものも存在した。本気で隕石を探したことさえある。「なんでも鑑定団」でも石コレクターが特集されるほどだ。
 かく言う私の収集癖もなかなかのもので、いつの時代にも何かしら集めていた。
 小学生の頃は、切手、コイン(昔のお金)、石、ジュースの王冠、野球カード、スーパーカー消しゴム、ミクロマン、超合金、キーホルダーなどなど集めた。中学・高校時代には古びた商店街の小さな時計屋をまわり、売れ残りの古い時計を格安で譲ってもらって集めていた。今で言うアンティーク時計であると思っていたのだ。
 無論資金も限られていたので、これらは骨董的価値など全く無いのだが、当時はお宝と信じて疑わなかった。
 この収集癖は開業医となった今も治っていない。いやむしろ悪化の一途をたどっている。毎晩ネットオークションで出物をチェックしているし、「なんでも鑑定団」も毎週欠かさず見ている。
 今、夢中になって集めているのは、モンブランのPIXペンシルである。万年筆からボールペンと推移し、現在は戦前に作られたモンブランのペンシルに限定して集めている。
 この分野では、国内でそこそこ名の知れたコレクターになってしまった。
 その他、昭和40年代の上野焼(あがのやき)も抹茶茶碗に限定して収集している。置き場が無いのでクリニックに並べてある。
 昔は骨董市などに足を運んでこれらを探していたのだが、今はネットオークションで簡単に見つかるのでむしろタチが悪い。
 そもそもコレクションは本人にとってお宝でも、それに興味がない人にとってはガラクタのようである。特に、女性にはこの気持ちは分からないのであろう。ビンテージのことを中古といい、汚いものとして取り扱う。
 また妻は、似たようなジーンズや万年筆など、着るわけでも使うわけでもないのに細々と集めては悦に入っている私に対して、「使わないんだったら、捨てちゃえば」とイラツク言葉を連発する。
 でも、その言葉、本当は禁句なのだ。たった一言で、男性から思い切り嫌われてしまう可能性が高いから女性陣は気を付けた方がいい。
 実はこの収集癖は女性よりも男性に圧倒的に多いと言われている。
 そもそも男はなぜコレクションするのかと言うと、太古は、男が狩りをして獲物を収集するのが大事な役割だったことに起因する。男性の収集癖はそのDNAが残っているからだとも言われている。
 どれだけたくさんの獲物を揃えたのか......それが生き残るための術だったし、子孫繁栄のために女性の心をわしづかみにする手段だったから、それは必死だったと思われる。本能として、基本スペックで男性に備わっている癖みたいなものなのだ。
 とは言っても、妻の言う「それ、サバイバルに全く必要ないじゃない」というものを細々と集めている私を、「生き残る術やモテる手段」としてコレクションしているとは到底思えないようだ。
 ただ本能だけが残っているからやっかいなのだ。使用もしないくせに場所ばかり取っていると、非難する妻との戦いは永遠に続くと思われる。なにせ収集せよとDNAが言うのだから仕方ない。太古の時代であったなら、私は間違いなく優秀な狩人であったに違いない。
 ただし、コレクションに飽きてしまった後は、ゴミとなってしまうことも多々あるので気を付ける必要がある。

福岡県 筑紫医師会報 第201号より

関連キーワードから検索

戻る

シェア

ページトップへ

閉じる