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平成29年(2017年)9月5日(火) / 日医ニュース

私の中の道徳観は誰が作ったのか?

 「ならぬことはならぬ!」。
 子どもの頃、近所のおじいさんに叱られた時によく耳にした言葉です。子ども心に理屈はともかく、やってはいけない行為なんだ、叱られる行動なんだ、と心に刻み込まれた言葉でした。
 私が子どもの頃(50年以上前)、恐らくどの家庭でも最低限の教育(躾(しつけ)?)として、社会における共通した道徳観があったように思います。
 そして、その上に学問的論理に基づいた学校教育が存在し、教師は絶対的な存在でした。小さい頃、「先生に叱られた」と凹(へこ)んで帰宅すると、親は理由も聞かず、「お前が悪いからだ」と、更にもう一度叱られたものです。
 現在では、各家庭の道徳観もバラバラになりつつあり(社会の価値観の多様性?)、親の学歴向上のなせる業か、教師のレベルのバラつきのせいか、はたまた発達した学校情報の共有化のせいか、教師への社会的信頼は低下し、子どもにとって絶対的な存在ではなくなってきているように思います。
 最近、研修医や医学生による考えられないような事件が連続して起こり、世間を騒がせました。会社や医療機関等で社員や職員の不祥事が発覚すると、管理責任の追及とともに、「社員や職員への徹底した教育を」というフレーズが必ず出てきます。
 もちろん当事者への再教育は必要ですが、このような事案に本当に大きな効果はあるのでしょうか?
 「人間における道徳教育とはどの時期に、誰が行うのが生物学的に最も適しているのか?」を今一度考えるべきと思うのは私だけでしょうか?

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