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平成30年(2018年)11月20日(火) / 日医ニュース

初雪の頃

勤務医のページ

西條先生と西條先生の奥さん(看護師)、アカリ、筆者

西條先生と西條先生の奥さん(看護師)、アカリ、筆者

 私が、札幌徳洲会病院で非常勤の救急当直を開始したのは、2010年のことである。「先生が来てくれると、3日間連続、家で眠れるんだ」と満面の笑みの院長に言われ、衝撃を受けた。
 当時は、人手不足から、院長が2日に1回ペースで救急当直に入るような状況だった。多くの場合、夜間10台前後の救急車と10人前後のwalk in受診を受けるため、あまり仮眠をとることもできない仕事をこの頻度で年単位続けているごま塩頭の院長が、同じ札幌にいる。ショックだった。
 その頃の私は、初期・後期研修を終えた後、専門科も常勤先も決められず、人生の迷子になっていた。研修時代に出会い、成長を温かい目で見守ってくれていた患者さんごと受け入れて下さるクリニックに恵まれ、細々医学の勉強も続けてはいた。しかし、北海道大学教育学部修士課程に籍を置かせてもらえたのをいいことに、キャンパスの小川のほとりで日向(ひなた)ぼっこをしたり、10歳年下の同級生達とテニスをしたり......現実逃避まっしぐらだった。
 ひとしきり豪遊し、数カ月が経過したある日の外来、3回挿管させて頂いた患者さんから言われた。「あんなに練習させてあげたのに、もう救急当直しないの? 先生は救急とか病棟にいた方が似合ってるよ」と笑われた。後ろめたさから、救急当直のバイト先に選んだのが、札幌徳洲会病院だった。
 正直、後悔した。久しぶりの救急診療、初めてのバイト当直の疲れは2日とれなかった。しかし、2回目の当直明けに、3日連続家で眠ることができると喜ぶ院長の満面の笑みを見て、辞められなくなった。
 当直明けに回診をしてみた。日向ぼっこ中にふと気になった患者さんに、テニスの前に会いに行くようになった。そのうち、現れる時間帯に合わせて看護師さんが一緒に回診してくれるようになり、研修医が待っているようになった。ちょっとずつ、病院に置くものが増えていった。着替えを置き、歯ブラシを置き、シャンプーを置き......気づいたら、常勤になり、名札に医長と書かれていた。そして、院長が退職し、一人医長としてプライマリ科(救急総合診療科)に残された。
 正直、苦悩した。このまま続けるべきだろうか。私には、経験も知識も気概も無かった。何より、自信が無かった。辞めて、プライマリ科そのものを潰した方がいいのではないかと思った。ただ、私は優柔不断だった。専門科も常勤先も能動的に選ぶことができなかったように、辞めることもできなかった。年に数回、洗濯のために帰った時にうっかり寝てしまった時以外は病院に住んだ。毎日、目の前のことに必死になるという新たな現実逃避を続ける中、ただ時間は過ぎていった。
 そんな中、ちょっと変わった研修医が入職した。西條先生だ。だましたつもりはないが、プライマリ科に残りたいと言ってくれた。しかし、迫り来る現実に彼の表情は暗くなり、ある日、言われた。「先生は、目先のことで一喜一憂しながら今を生きてくだけでいいかも知れませんが、僕は、普通に家庭も持ちたいし、先のことも考えたい」
 正直、図星だった。私は未来を見ることを恐れていた。足元に集中することで一歩進むのに精一杯だった。
 勇気を振り絞って顔を上げてみた。そこには、たくさんの差し伸べられた手があった。北海道医師会勤務医部会若手医師専門委員会に参加させて頂き、メンターとして支えて下さる方々との出会いがあり、徳洲会グループ内でも、さまざまな研修会に参加させて頂いた。ちょうど、医師の働き方改革を推進している時期でもあり、アイデアと支援がたくさん届けられた。
 何より、心強かったのは、コメディカルの存在だ。看護師は一緒に決断し、責任を感じてくれる戦友だ。リハビリ専門職や薬剤師、検査技師たちはおのおのの分野でオピニオンリーダーとして活躍する非常にアカデミックな集団であり、私達のブレーンだ。そして、事務は、法制度のコンプライアンスについて熟知し、プライマリ科ならではの煩雑な事務処理や社会的な支援の調整、病院間連携を率先して行ってくれる。
 特にメディカルクラークは、業務負担を大幅に改善させ、診療の質を上げてくれた。ディクテーション、各種書類の記載などほとんどのデスクワークを担当してくれた。2年間で医師の労働時間のうちデスクワークが占める割合は59%から23%へと大幅に改善された。そして、主な診療疾患の退院時情報提供書の記載割合も40%から93%へと改善された。週60時間以下の勤務となった。
 医師は少ないし、確保できるめども立たなかったが、他職種のサポートは厚かった。そして、患者さんにも恵まれた。プライマリ科の体力と度量に合わせた限られた医療の提供を理解し、譲り合って利用してくれた。
 あれから8年、今、プライマリ科はプライマリセンターと呼ばれるようになった。年間約5000台の救急搬送と約5000人の外来受診、約1500人の入院患者の診療を担う。西條先生は、公私共に育児ノイローゼだ。赤ちゃんが生まれ、そして、若手医師にも恵まれるようになった。おじいちゃんそっくりな夜泣きする娘アカリと、個性豊かな6人の常勤医、非常勤医師11人、研修医4人が、西條先生を悩ませる。国籍も母国語も描く未来もさまざまだ。
 悩みの質は変わった。つま先にひっかかる段差に一喜一憂する日が無いとは言わない。だが、今、私達は、未来も見て悩んでいる。
 患者さんがプライマリセンターをハブ空港として人生のギアチェンジをするように、医師もまたここで応急処置を受け、癒やされ、鍛えられ、飛び立つ。それぞれの描く理想的な未来を応援しつつ、このハブ空港で雨宿りする人々に現実的に可能なことを提供する。そのバランスをどこに置くのか。これからもたくさんの方々にご指導頂きながら、新しく出会う仲間達と悩んでいきたい。そして、その先築けるものが、アカリ世代の満面の笑みでありますように。
 しかし、仲間が増え、明るい未来を感じる悩みは嬉(うれ)しい悲鳴だけではない。西條先生に、「白髪増えましたね」と、からかわれることが増えた。そう言う西條先生の頭も、初雪が降った。これからもう少し我慢の季節。本当の春は、まだ先なのかも知れない。

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