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令和2年(2020年)2月20日(木) / 南から北から / 日医ニュース

落語という楽しみ

 私のこれまでの人生で、大きな転機の一つに出産があるが、子どもからは次々と、予想もできないような方向から刺激をもらっている。落語を始めとする和の文化の魅力にはまったのも、現在中1になった次男の興味がきっかけだ。
 彼は園児の頃から渋い物ばかりを好む。煮物、漬物、緑茶、和菓子、出汁......。食べ物から始まって、古城、茶道、浮世絵、落語。5歳の頃、歯科治療を受けに行く際、「がんばったらおいしいものを食べよう! 何が食べたい? 用意しておくよ」と励ますと、「漬物3種類!」と即答した時の目の輝きを今も思い出しては笑ってしまう。
 それにしても、親の嗜好(しこう)とは無関係にあちこちに向いていく子どもの興味は面白い。飲み物と言えば専らコーヒーと炭酸水という両親に、緑茶が飲みたい、と言い出したのも5歳の頃。人の好みというのは本当に不思議なものだ。
 そんな次男の連射してくる刺激を受けて、気付けば私の興味も和の文化に向くようになった。3年あまり前から津軽三味線を習い始めた。山城を中心とする古城めぐりは、運動を兼ねた楽しみの一つ。家族でどこかへ出掛けよう、という時、ここ数年ほとんどが古城絡みの土地が目的地となっている。そして落語。
 「空前の落語ブーム」「平成落語黄金時代」などとも言われるこの頃、ブームに乗ったつもりはなく、「イケメン落語家」なる現在の人気落語家さんが好きということもないのだが、私は今落語にはまっている。特に古典落語の、古典でありながらも枕からの入り方や、ところどころに散りばめられた噺家(はなしか)さんごとに異なる独特な演出、登場人物の個性の出し方のちょっとした違いなど、同じ落語でありながら、何通りも何百通りも楽しめる不思議な奥深さは、閉口するほどに面白い。語り口、声の粋、艷、勢い、「話す」というのはかくも多様な魅力があるものかと思う。
 目の前で生で語られる落語は言うべくもないが、ラジオやCDで聴く、音源のみの落語もまた魅力的である。そこには語りながらのしぐさも、表情も、登場人物の掛け合いを顔の向きで語り分ける「上下(かみしも)」等、視覚的な情報は全くないが、噺家が語るその語り口だけで、今発せられた言葉が誰のものか当たり前のように聞き手に伝わり、更にはそこから、情景や語り手の表情や感情までも想像することができる。芸を極めるとはこういうことか!と思う。ただただすごい。
 古今亭菊之丞(ここんていきくのじょう)師、柳家三三(やなぎやさんざ)師、柳亭市馬(りゅうていいちば)師は私が特に大好きな噺家さんだ。考えてみるといずれも40~50代、まさに脂の乗った芸人さんである。落語家の好みは、聴く側の感性によって異なるものだが、とにかく好きな落語は聴けば聴くほど面白く、聴けば聴くほどすごいと思う。張りがある通る声、軽快な語り、脂の乗り加減は半端でない。
 故桂米朝(かつらべいちょう)師匠や故桂歌丸師匠らの古い録音を聴いてみても、40~50代の頃の語りは格別だ。そんな国宝級の師匠方の全盛期の語りを今も聴くことができるのは、今の時代ならではの幸せだ。
 落語を楽しむ生活を続けるうち、そういう脂の乗った人達の脂の乗った落語だけではない、年輪を重ねた巨匠達の習熟した名演、危なっかしく初々しい若手の落語、そういう落語の持つ別の魅力も分かるようになるのだろうか。そう思うとそれがまた楽しい。
 息子達の興味はこれからもあれこれと移っていくのだろう。同居していることでそんな刺激をまめに受けられるのもあと数年。緊張とストレスの多い診療生活だが、50歳を目前にした今の私、つまりは脂が乗っているまさにその時なのであるから、息子達からの刺激を存分に享受して、彩ある生活ができる幸せに感謝しつつ、脂が乗ったと言えるような診療ができる自分になりたいと思うこの頃である。

(一部省略)

長野県 松本市医師会報 第608号より

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