日医ニュース 第965号(平成13年11月20日)

第54回日本医師会設立記念医学大会
受賞者の横顔

 第五十四回日本医師会設立記念医学大会の席上表彰された日本医師会最高優功賞のうち,都道府県医師会長推薦による「医学,医術の研究により医学,医療の発展又は社会福祉の向上に貢献し,特に功績顕著なる功労者」の横顔を紹介する.

地域医療・救急医療活動に貢献した医師会
酒田地区医師会(竹内輝博会長)

 近年の酒田地区医師会の活動について述べると,まず,平成八年度に看護婦不足の解消をねらいとして,行政の支援を受けながら,独自で酒田看護専門学校看護科の設立運営をすることに踏み切ったことである.現在三期にわたり卒業生を輩出しているが,地元定着率はほぼ半分とはいえ,近隣県への就職も含めて地域医療に積極的に人材を供給するために,開業医,病院勤務医が講師を勤めながら,一丸となって人材の養成に取り組んでいる.
 取り組みの二つ目は,救急医療に対する対応である.当番制による休日診療はもとより夜間急病診療所の開設と対応,さらに消防機関との救急医療連携にある.当該地域に救急救命センターがないこともあり,開業医や病院の負担が大きいが,消防機関との積極的な連携を深めることにより,住民の生命の救済に繋がっている.
 三つ目の取り組みは,福祉部門に対する積極的な支援体制である.平成十二年度から施行された介護保険制度導入にあたっては,施設整備の一環として,医師会自らが「訪問看護ステーション“スワン”」を設立して運営することで,不足する福祉医療施設を補っている.
 会員総数百八十五名.

地域産業保健活動に貢献した医師会
大森医師会(千葉彰彦会長)

 大森医師会は,戦後すぐから積極的な地域活動に取り組んできた.
 昭和二十二年大田区医師会認可,四十年大田区医師会を大森医師会と改称.四十五年医師会館診療所開設,四十八年医師会診療所において休日診療開始,五十七年日航機羽田沖事故で救護活動,六十二年産業医活動に関する三者協議会開催,六十三年在宅難病訪問診療事業開始.
 平成元年,全国に二十七カ所の地区労働衛生相談医制度モデル事業地区が指定され,都内唯一の地区として,大田区が指定された.五年度から本事業として,「大田地域産業保健センター」へと継承された.さらに事業の拡大に伴い,十一年度から拡充センターとして,小規模事業場に対する産業医活動を実施している.
 八年医師会立訪問看護ステーション設立,十一年大田区在宅介護支援センター設立.十三年地域産業保健センター,産業保健推進センターと労災病院専門センターとの連携,土曜日準夜(午後五〜十時)小児科・内科診療開設.
 その他すべての会員の協力のもと,さまざまな保健,医療,福祉,介護,そして産業医,救急活動を推進し,地域医師会としての使命を十二分に発揮してきた.
 会員総数三百六名.

郷土医学史の研究に貢献した功労者
青森県 松木 明知先生

 昭和十四年生まれ(六十二歳),昭和四十年弘前大学医学部卒業.
 平成元年,弘前大学教授昇任(医学部麻酔科学講座).
 専門の麻酔科学での多くの業績をあげ,ことに麻酔科学教育法についての造詣も深く,平成十一年にはThe Royal College of Anaesthetistsのmemberに推挙された.
 学生時代から医史学研究をはじめ,昭和六十年,平成十一年と二度にわたって,日本医史学会の会長を務めている.ことに北日本の医学,医療について,多くの発見を重ね,三十冊の医学史関係の著編書を発表し,国際的にも高く評価されている.そのなかでも,
(一)シベリア経由の牛痘種痘法伝来に関する研究
(二)津軽地方の牛痘種痘法の歴史の研究と津軽における阿片の生産の史的研究
(三)八甲田雪中行軍遭難事件の医学的研究
などが,先駆的,開拓的業績として,挙げられている.
 現在,松木先生は,弘前大学医師会の会長を務め,地域医師会活動にも積極的に協力されている.
 青森県医師会報にも麻酔科学,医史学にとどまらず,多くの分野についての卓越した識見をたびたび発表し,多くの医師会員に感動を与えている.

地域医療の向上に貢献した功労者
埼玉県 星  博巳先生

 昭和四年生まれ(七十二歳).昭和二十八年岩手医科大学卒業.昭和三十一年から浦和市の岩崎医院に副院長として勤務,平成元年から同医院を継承し,星内科クリニックを開設し,現在に至る.この間四十五年余の永きにわたり,温厚で誠実な人柄により,患者の厚い信頼を得て,地域医療および保健衛生の進展に多大な貢献をしている.
 また,昭和四十三年から十八年間,浦和市医師会の理事・副会長・会長を歴任し,浦和市行政との緊密な連携によって,同市と共同で開設した浦和休日夜間救急医療事業団および浦和休日急患診療所の運営と発展に力を注いだ.一方,浦和市立病院と会員診療所との間に理想的な病診連携体制を強化し,浦和市の地域医療の向上に尽力した功績は,きわめて大きい.
 昭和六十一年から十二年間,埼玉県医師会常任理事を務め,学術団体としての根幹をなす学術部を担当し,日医生涯教育講座をはじめとする年間数十回のさまざまな学術講演会を開催し,会員の生涯教育に力を注ぎ,埼玉県医学会総会の実施責任者も務めた.
 平成二年度から総務を担当,会が行うすべての事業の充実・発展に多大な功績を残した.

地域保健活動に貢献した功労者
千葉県 内田 威郎先生

 昭和八年生まれ(六十八歳),昭和三十二年千葉大学医学部卒.昭和三十九年市原市に内田医院を開設し,昭和五十七年市原市医師会副会長,五十九年より平成十二年まで同市医師会長を歴任した.
 その間,市原市医師会はさまざまな課題を抱えていた.特に,帝京大学医学部附属市原病院誘致問題では,医師会が二分されかねぬ状況だったが,氏の常に冷静,かつ公平な判断力,および実行力で,医師会,行政,帝京大学三者の融和が図られた.その後,その混乱を終息せしめたばかりでなく,帝京病院より一名の理事を理事会に参加させるなど,地域医療構築のための協調体制を作りあげた.その功績はまことに多大である.
 なお,氏は他にも六十年,市原市高等学校保健連絡協議会を発足させ,現在もなお年二回の講演会・会報の発行など,氏が会長となり活躍中である.
 また,四十八年に設立された同市医師会立の准看護学院に二年課程の看護学科を併設,平成七年には市原看護専門学校を設立したこと,および,平成八年,市原市地域産業保健センターを設立し,産業保健に対する会員の関心を大いに高めたこと等々,その功績はまことに多大かつ顕著である.

公衆衛生・地域保健活動に貢献した功労者
新潟県 富樫 益郎先生

 昭和三年生まれ(七十三歳),昭和二十五年新潟医科大学附属医学専門部卒業.昭和四十五年新発田市豊栄市北蒲原郡医師会理事に就任.以来理事十四年,副会長四年,会長十四年を務めてなお,現職にある.
 昭和四十六年の新発田地域広域市町村圏振興整備計画のなかで,医師会検査センターをはじめ,休日救急診療所や胃集検機関など,分散していた各種機関を統合し,保健衛生センター(仮称)の設立構想を提言.昭和五十五年財団法人二市北蒲原郡総合健康開発センターを設立,昭和五十七年に発足させた.
 同センター設立と同時に同法人理事に就任し,六十三年には副理事長(センター長)に就任.自ら陣頭に立って各種保健事業並びに併設した医科歯科休日救急診療所および准看護学院等を運営し,さらに平成五年以降は訪問看護,通所介護,訪問入浴介護等の在宅介護サービスや居宅介護支援事業を展開,地域住民のための中核施設として発展させた.
 その他,七年の歳月を要した新発田市豊栄市北蒲原郡医師会史の刊行に尽力,さらに「臨床検査正常値の検討」「在宅医療におけるMRSAの実態とその対策について」「在宅ケアへの取り組み」等の各種調査研究を実施し,その中心的役割を果たしてきた.

地域医療活動の充実に貢献した功労者
岐阜県 白木  茂先生

 大正十一年生まれ(七十八歳),昭和十九年京都帝国大学医学専門部卒業.
 昭和二十年岐阜市民病院,昭和二十四年京大菊池内科教室入局,昭和三十一年白木胃腸病科開業,現在に至る.昭和四十一年岐阜県医師会代議員,昭和五十五年大垣市医師会長,平成二年日医代議員.
 昭和三十五年大垣市医師会理事に就任以後,卓越した指導力をもって,組織の基礎づくりに貢献した.
 主な業績としては,昭和五十六年,医師会,市,大垣市民病院の三者からなる連絡協議会を発足させ,地域医療に医師会の意向を反映させながら,自治体との相互理解,中核病院との病診連携の充実を果たした.
 昭和六十年,休日救急患者に対応するため大垣市急患医療センターを開設し,内科,小児科の会員が出務,眼科,耳鼻咽喉科,産婦人科は当番制で自宅待機の体制を整えた.昭和六十三年会員の情報伝達にファクシミリの導入を提案して,百七医療機関を結ぶネットワークを完成させた.
 また,看護婦不足に対処するため,昭和三十七年には新校舎を建設して生徒数を倍に増やし,昭和四十六年には医師会館建設を機に学校を併設し,設備の充実に努め,看護婦育成に大きな役割を果たした.

新生児医療に貢献した功労者
愛知県 後藤 玄夫先生

 大正十三年生まれ(七十七歳),昭和二十四年金沢医科大学(現・金沢大学医学部)卒業.
 昭和二十五年岐阜市民病院,昭和二十六年名古屋市立大学助手(小児科学教室),同講師,同助教授を経て,昭和三十七年十月名古屋市立東市民病院小児科部長,昭和五十八年名古屋市立城北病院長,平成六年同名誉院長,昭和三十六年愛知県小児科医会理事,平成十三年同監事.
 新生児感染症の解決は早期発見と早期治療にあるとの考えから,急性期反応蛋白質を指標にした感染のスクリーニング法,APR─スコアを提案した.第三十二回未熟児新生児学会では「APR─Scの新生児感染症に対する信憑性とNICUにおける臨床的応用」と題して会長講演を行い,その後,測定法に改良を加え実地診療への導入に努力した.APR─スコアは感染のスクリーニング,診断に有用であるばかりでなく,感染病原がウイルスか細菌であるかの鑑別にも利用できることを確認した.
 最近では,新生児室内の患児のAPR─スコアによる感染のスクリーニングを徹底,不必要な抗菌剤使用を極力抑制することにより,懸案となっていた新生児室内のMRSAキャリアの完全な排除に成功した.

離島僻地の保健医療活動推進に貢献した功労者
島根県 松枝  寛先生

 大正十五年生まれ(七十四歳),昭和二十七年九州帝国大学医学専門部卒業.
 卒後,同大学付属病院にてインターンを終了し,同医学部第二外科研修生となり,昭和二十八年島根県隠岐郡海士町国保海士診療所所長として赴任.昭和六十一年からは島前医師会副会長,平成六年から同医師会長を歴任.平成七年島根県医師会裁定委員.
 昭和二十八年から現在まで,日本海の離島における僻地において,四十七年有余にわたり地域の保健と医療に貢献し,日夜献身的に努めた.僻地住民への健康相談,衛生教育,島嶼部の救急体制整備について自らが率先して活動,昭和六十一年からは島前医師会の組織をあげて取り組み,その指導力を遺憾なく発揮した.
 赴任当時,隠岐郡海士町に結核患者が多いのに驚き,患者の早期発見,早期治療に努め,長年,黒木保健所結核審査委員として積極的に活動した.
 また,海士町国民健康保険運営委員として,五カ所ある直営診療所の統合診療所の建設に向け,日夜献身的に活動し,平成六年三月に竣工した功績は大きい.
 今なお島嶼僻地の診療と社会的活動を通して,地域に多大な貢献をしている.

広域救急医療ネットワークシステムの推進に貢献した功労者
広島県 大田 浩右先生

 昭和十三年生まれ(六十三歳).昭和三十九年岡山大学医学部卒業.脳神経外科学会専門医.五十一年大田病院開設・院長(平成十二年行政承認により脳神経センター大田記念病院とした).五十三年「福山腎移植をすすめる会」代表.平成二〜十年福山市医師会長,四年広島県医師会理事,日医代議員.岡山大学医学部講師・臨床助教授.
 大田氏は,脳神経疾患を中心とする救急医療における功績に対し,県警本部長表彰,県知事表彰を,また,臓器提供病院として死体腎提供や角膜提供等の実績に対し厚生大臣感謝状を受けた.大田式患者移送用保温バッグを開発し,北海道消防庁をはじめ各地の消防局へ多数のバッグを寄贈.また,血管内手術などのIVR医をX線被曝から守る大田式X線防護パネルを開発するなど,安全医療の確立に努力した.
 さらに大田氏は,大田式CT画像伝送装置を開発し,これにより広島県東部,岡山県西部の直径百キロメートル診療圏に広域救急医療ネットワークシステムを構築し,十五年間にわたって,近隣の医師会病院など八病院,民間十二病院から画像伝送を受け,その診断と治療方針の協議に応じて脳疾患患者の救済に大きく貢献した.

救急医療体制の確立に貢献した功労者
山口県 山田  孟先生

 昭和七年生まれ(六十九歳),昭和三十一年九州大学医学部卒業.
 卒後,九州大学医学部第二外科へ入局し,四十年同医局長.昭和四十二年に山口県岩国市において岩国中央外科医院を開設,同五十二年岩国中央外科病院を開設.昭和五十一年から岩国市医師会理事,同六十一年副会長,同六十二年会長を歴任.平成五年から岩国市医師会病院センター長,同十二年から医師会病院名誉センター長.
 地域医療のさらなる充実を目指し,昭和五十一年に会員相互の救急医療チームを地域ごとに編成し,緊急時の医療体制を確立.岩国方式として全国の他地域医師会のモデルになった.
 また,地域外の病院への受診を余儀なくされていた地域住民のために医師会病院設立に向け貢献し,病診連携,高額医療機器の共同利用,救急医療の充実を推進し,平成五年に病院設立.以後,センター長としての手腕を発揮し,病院経営の安定化に努めた.
 病院設立の貢献と病院運営での指導性,地域医療への熱意は論賛に値する.

地域保健医療活動に貢献した功労者
福岡県 関原 敬次郎先生

 大正十三年生(七十七歳),昭和二十五年九州高等医学専門学校卒業,昭和三十三年北九州市門司区にて整形外科医院を開設.
 昭和三十九年四月に北九州市門司区医師会理事に就任後,同副会長,会長さらには北九州市医師会理事,副会長,会長,そして福岡県医師会長に就任し,地区,市域,県域における医師会が行う地域保健医療活動の推進に積極的に取り組んできた.昭和五十七年に門司区医師会館を開設,医師会診療所を併設し,現在なお同区の地域保健活動の拠点となっている.
 昭和六十三年北九州市医師会副会長就任後は高齢社会対策に取り組み,行政との緊密な連携により,「北九州市高齢化社会対策総合計画」を策定.医療を中核とした保健・医療・福祉の連携を実践するため,全国に先がけて訪問看護等在宅ケア総合推進事業やかかりつけ医推進モデル事業等を行うと共に訪問看護ステーション,在宅介護支援センター,ヘルパーステーションを三位一体で整備し,北九州方式による高齢社会対策の基盤を構築した.
 平成九年七月からは福岡県医師会長に就任,新医師会館(メディカルセンター)の建設を進め,県レベルでの保健・医療・福祉活動に力を注いでいる.

結核撲滅・予防事業に貢献した功労者
沖縄県 伊豆見元俊先生

 大正元年生(八十九歳).昭和十三年台北帝国大学附属医学専門部卒業.
 軍医として軍務に服した後,昭和二十年台湾新竹州大湖陸軍病院長,昭和二十一年沖縄民政府医官として要職を歴任,昭和三十五年那覇市にて開業.昭和三十六年那覇市医師会理事に就任以後,県医師会常任理事,副会長,代議員会議長を務めた.
 昭和二十五年金武保養院長(サナトリウム)および琉球結核科学研究所長に就任.患者の治療,療養生活指導と共に患者の精神的なよりどころとなった.次第に沖縄の結核が蔓延する兆しにあることを察知し,二十七年には沖縄の結核の実態調査に自ら参画し,結核対策の基礎資料を作成した功績は大きい.琉球結核予防会の設立に際しては,代表の一人として尽力し,二十八年,認可をうけた後は理事に就任,結核予防事業の基礎作りに貢献した.
 また,受診率向上のため結核予防法の実現に全力を傾注,法成立後は,結核予防審議会委員として普及に務めた.さらに沖縄本島南部に琉球結核科学研究所附属のサナトリウム設置に成功.琉球政府の医療行政の最高責任者(社会局長)として,初めて結核患者本土送出療養制度を実現した.


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