日医ニュース 第968号(平成14年1月5日)

―持続可能な医療体制のために―[3]
日本の医療の実情
日医総研 研究部長 石原 謙

 前回,医療現場を切り捨てるコスト削減政策のために,患者さんは自宅に居る環境以下で治療を受けざるを得ない,日本の医療現場の問題点を述べた.患者・家族まで巻き込んだ,医療現場でのつらい想いにスポットをあて,今回は,さらに,医療人そのものも現場でのミクロの犠牲者であることを再認識していただく.これらの犠牲は,今の日本の医療にかかわる公費不足が原因である.

〈医療現場における患者さんと家族の犠牲〉
 家族が入院という事態になれば,大切な日には付き添ってあげたい.しかし,基準看護という建前のために,付き添いは原則として認められず,黙認されたとしても,狭くていい加減な簡易ベッドや長椅子で仮眠するのが関の山である.闘病するためには,家族の心身のケアも必要なのは当たり前なのに,家族に対する配慮もないに等しい.
 これは,医療政策が,看護にコストをかけないという第一段階のミスをしたばかりでなく,家族の配慮と行為を踏みにじる第二段階でのミスを重ねている.さらには,民間医療保険での付き添い料の支払いなどが関わると,第三,第四のミスの上塗りが放置され,法的責任の所在もあいまいなままである.これらを改善したいと心掛ける医療機関経営者は多いが,改善すると,基準看護ルールで保険点数を減額され,経営そのものが立ち行かなくなる.この厳しい縛りのメカニズムを知る,患者さんやマスコミは極めて少ない.
 食事もそうである.ほとんど選択の余地なく,押しつけられる.せめて治療中は,好みの食事をさせてあげたいとは思わないだろうか? しかし,良い素材を使い,患者さんに選択を許すには,人手も給食予算もあまりに少ない.自宅で費やす程度の食費の一部を自己負担してもらい,食事療法分を保険負担というのは仕方のない方向であろう.
 自分の病気について十分な説明を受けたいという,患者さんと家族の至極当たり前で最も大切な願いもしばしば裏切られる.医師が,十年以上をかけて学んだ知識の一端を,三分で患者さんに分かりやすい言葉で説明するのは不可能だ.せめて十五分あれば,もっと納得できる説明をできるだろうが,今の日本の医療体制では困難の極みである.欧米の医師が診る患者さんの数は,丼勘定ではあるが,外来でも入院でも,日本と比べると一桁少ない.日本の医師も皆患者さんに十分な説明をしたいと思っているし,患者数さえ少なければ実現できるが,今の診療体制を知る筆者には,時間的に不可能であるとしかいいようがない.もちろん,法的に広告規制されているために,院外への広報活動は強く掣肘される.
 日本の医療では,適正な競争原理が働いているから,人気と定評のある医師ほど患者さんが多く,ますます説明に割ける時間が減ることになる.さらに,患者さんの側からは,小児科医や麻酔科医をはじめとする,各領域専門の医師が少ないなどの現実をみると,日本の医師数はもう十分充足しているという見解に,にわかにはうなずけない.

〈医療現場に犠牲を強いる貧弱な医療予算〉
 患者・家族の希望を叶えぬこれらは,皆医療関係者が悪いのか? 逆にみると,医療関係者の努力で改善するのか? マスコミや経済人の一部は,あたかも株式会社経営や医療機関の自助努力で改善するかのごとき表現をするが,本当だろうか?
 実は,そうではない.国際比較をすれば,すぐに分かることであるが,日本の医療はあまりに少ない予算規模で,皆保険というセーフティネット機能を構築している.図の医療費年額と公共投資年額を,それぞれに携わる人数で割り算をすると,一人当たりのGDP寄与つまり大まかな給与が得られる.建設作業や土木現場で働く人々の半額しか,医療現場の人々には支払われていない事実がはっきりと分かるだろう.一人当たりの公費の投入額で計算すると,医療人に支払われているのは,建設業界の人への十分の一である.
 わが国政府の一般会計と補正予算等は,百兆円規模であり,国家財政規模でいうと二百五十兆円に及ぶ.公共投資のみは先進六カ国の総額を上回る予算を投じておきながら,医療にはその数分の一しか投じない.そればかりか,総額伸び抑制という枠をはめるのは,為政者として正しい判断であろうか.
 日本医療のセーフティネットは,関係者の献身と犠牲でやっと支えられている状態である.マクロ経済の数値をみると,すでに,医療関係者は,劣悪な環境のもとで必死で働いている実態があぶり出される.これは,精神科でいうところの「過剰適応(オーバーアチーバ)」そのものであり,自覚されないままにストレスが最高潮に達し,ほとんどの医療人が燃え尽き症候群や,過労死予備軍である.
 真に国民を守ろうとするならば,医療人も自らを守らなければならない.医療は,自らと家族を犠牲にして身上を食いつぶしても,邁進すべきカルト集団の奉仕活動ではないはずである.二木立教授も,著書「『世界一』の医療費抑制政策を見直す時期」(勁草書房)で,強く主張しているが,まさに正論である.

〈研修医過労死事件〉
 平成十三年には,研修医の過労死事件が大きく報道された.これは研修医になって数カ月というM医師(二十六歳)が急性心筋梗塞で亡くなってしまったというショッキングな事件だった.
「頑健でスポーツマンだった人間が,このような死に方をするのはおかしい」と,遺族が労働基準監督署に告訴し,K医大を損害賠償で提訴した.その結果,K医大が労働基準法違反で書類送検された.
 人事担当者は,「三十年前から研修医はこのように働かされてきており,それが研修だったのだから,研修医が労働者かどうか腑に落ちない」とコメントした.M医師は,法定労働時間の週四十時間を超えて,百時間労働を続けていたことが明らかになった.これは,研修医を知っている人には驚くべき数字ではなく,むしろ当たり前に思う医師が多かろう.私も研修医時代にこれくらいの仕事をしていた.
 しかし,医療関係者がこの事件をみて,「これくらい当たり前じゃないか.死んだほうに問題がある」と考えるなら,その考え方は完全に洗脳され,劣悪な日本の医療環境に「過剰適応」しているのである.M医師の給与は六万円だったそうだから,時給に換算すると約百五十円.これが研修医,レジデントといわれる人たちの普通の実態である.
 以前に,「研修医に過酷な労働を課して,教授は楽をしている」という論調の新聞記事があった.文部科学省が調査した,研修医が七十八時間,助手が十九時間,教授が三時間という某大学病院内科の診療時間データ(週間)から書かれたものである.まったく見当違いの記事で,本当に腹立たしい.
 私の同僚の臨床教官は,一人の人間がやっとできるという仕事を三つも四つもを同時にこなしている.これらを完璧にこなすのは実際には無理であるが,「何とかしないといけない」という奉仕精神で,激務の毎日を送っている.多くの臨床科の教授は,診療の時間が一番楽しい楽な時間であろう.それ以外の数々の職務の責任の重さと,能率の良さ,そして,質の高さなどを勘案すると,研修医の優に数倍は働いていると推測できる.その結果として,身体を壊す医師が身の回りに実に多い.
 もちろん,開業すれば楽ができて,大儲けというシナリオも二十年も前からわが国には存在しない.借金を背負って新規開業し,そう心配なく返済が続けられるということも過去の夢である.新規開業して数年後に身体を壊したり,死亡する医師の話も良く耳にする.ここまで医療関係者ががんばっているのなら,病院経営は多少は儲かって良いはずだが,現実には年三十〜五十件のペースで病院倒産が起こっている.
 こういう状況にもかかわらず,「医療改革」という名の改悪が推進されることを唯々諾々と了解していると,日本の医療は守れない.対話すらできないならば,おかしな改悪にははっきりと行動で意思表示をするしかない時代かも知れない.


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