日医ニュース 第979号(平成14年6月20日)

視点

ゲノム万能主義への警鐘
―遺伝情報といまそこにある危機―


 郵政事業庁が,郵便局で取り扱っている簡易保険において,遺伝的疾患を含む,先天性の病気をもつ子どもが一律に加入を拒否されている事実が,専門医の調査により明らかになった.これを受けて,医師会では,「遺伝情報に基づくあらゆる保険加入差別は認めない」という観点から,遺伝情報の取り扱いに関する問題に対して,真正面から取り組む姿勢を表明し,マスコミでも取り上げられた.これら報道が契機となって,衆議院厚生労働委員会でも質疑が交わされ,総務省郵政企画管理局の保険企画課が中心となり,小児医療の実情や医学の進歩に関する資料を収集,実務を担当する郵政事業庁とも意見交換し,現状の見直しを図ることが決まった.
 遺伝子情報解析技術は,この数年で驚くほど簡便になり,さらに,SNP(Single Nucleotide Polymorphism)の解析から,高血圧・糖尿病やアルツハイマー病など生活習慣病の原因遺伝子群の特定まで可能となった.
 個人の遺伝情報の取り扱いは,現在,国会で審議中の個人情報保護法案や健康増進法案のなかでも極めて慎重な議論が求められる重要課題である.遺伝情報はほかの個人情報とは本質的に異なる.なぜなら,どのような遺伝情報をもって生まれてくるかは本人に責任はなく,複雑な疾患において遺伝情報をもとに将来の健康状態の正確な予測をすることは非常に困難だからである.アメリカでは,一九九〇年に遺伝病の子どもに関して保険加入を拒否したり,保険料を割増しさせたりすることを禁止する州法がカリフォルニア州で成立し,続けて十五州で医療保険加入と転職の場面で遺伝的差別を禁止する州法が成立.一九九六年には「医療保険全般でその適格基準に遺伝情報を繰り入れることを禁止」する連邦法で,保険会社の審査に遺伝情報を利用することを禁じている.ヨーロッパにおいても,ヨーロッパ人類遺伝学会の勧告で,意図的に選択された症例から導かれた不適切な将来の推定を保険研究には使うべきではないと謳う.翻ってわが国では,遺伝情報の取り扱いに関しては,議論の端緒にもついていない.
 人間が生まれながらにして尊厳と権利において平等であることは,国連の人権宣言にも謳われ,わが国も批准している.保険加入拒否の理由に,先天的な素質を含めること自体が,基本的人権に反する.ゲノム先進医療の福音ばかりを唱えるゲノム万能主義の社会風潮はすでに終わった.わが国は,改めて時代に即応した適切な遺伝情報の取り扱いを,早急に議論すべき転換期を迎えている.


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