日医ニュース 第988号(平成14年11月5日)

第107回日本医師会臨時代議員会 2002年10月22日
会長所信表明
日本医師会 会長 坪井栄孝


 本日は,第百七回日本医師会臨時代議員会の開催をお願いいたしましたところ,お忙しいなか,また,遠路ご参集を賜り,誠にありがとうございます.
 今回ご審議をお願いいたします案件は,平成十三年度日本医師会決算関連の議案等,第一号議案から第四号議案と,第五号議案「診療情報の提供に関する指針」改定の件の五つの議案でございます.慎重ご審議のうえ,ご承認賜りますようお願い申し上げます.
 特に,第五号議案は,第百回日本医師会定例代議員会において日本医師会会員の倫理規範として制定することを議決いただきました「診療情報の提供に関する指針」について,二年ごとにその内容を見直す規定に基づき,遺族に対する故人の情報の取り扱いについて新たに附記すべき事項を検討し,指針の見直しを行ったものでございます.現在の社会背景のなかで,たいへん影響力の強い見直し事項でございますので,何とぞ広範囲にご討議のうえ,ご承認賜りたいと考えております.
 九月初旬,韓国におきました大洪水の被害に対し,韓国医師会に日本医師会からお見舞いをいたしましたところ,会員各位のご厚意に対し,申韓国医師会長より丁重なる感謝の礼状が届いておりますことをご報告いたします.
 この機会に,会務執行について若干の所信を述べ,ご批判を賜りたいと思います.

(1)小泉内閣の社会保障の考え方を質す

 混迷する社会情勢のなかで,聖域なき構造改革を唱え,医療も他の産業と同じ位置づけで財政改革を進めている小泉改革の渦のなかで,かつて日本医師会が経験したことのないマイナス二・七%の診療報酬改定を強要され,苦渋の選択をせざるを得なかったわけです.しかし,提示された二・七%の数字には,何ら医学的な根拠とか,厚生労働省の医療費のあり方の哲学があったわけでもなく,国債発行を三十兆円に抑えるという財政計画のなかで,厚生労働省が次年度予算を作るうえでの財源措置であります.
 医療費財源としては甚だ説得力に乏しい数字に合意せざるを得なかった理由は,あくまでも極端に疲弊したわが国の社会経済と,そのリスクに喘ぐ一般国民の現状があったからであります.
 しかるに,この見識を逆なでするかのごとく,サラリーマンの一部負担金を三割に引き上げ,なおかつ,老人外来の一部負担金の増額をも打ち出したことは,容認しがたい暴挙といわざるを得ず,引き続き,今後も国民の負担を増大させる一部負担金の引き上げに反対し,修正を求めていかなければなりません.
 このようなただ単に財政の辻褄合わせではなく,確固たる社会保障の理念に基づく政策立案を進めていくべきことを政府に進言していく必要があります.
 わが国の社会保障の理念は,かつての「最低生活の保障」,すなわち救貧的制度から脱却し,「健やかで安心できる生活の保障」として,病気や障害の予防,介護保険の導入,高齢者雇用の確保と年金の保証,ノーマライゼーションの理念による環境の整備,財源の確保など,社会保障全般にわたる再構築の必要性を指摘され,正に健全な社会づくりのための投資財として取り扱われ,医療は消費ではなく投資と位置づけられてきました.
 ところが,少子高齢化の進展等に社会保障費の増大が予想されることや,景気の低迷,国家財政の逼迫等に伴って,増大が確実とみられる社会保障費を抑制する動きが強まり,財務行政は再び,社会保障は金のかかる消費財として極端な財源抑制策を取ってきました.
 特に,小泉内閣の発足以来,聖域なき財政改革の名の下に,この傾向が強められ,財務官僚の頭脳には生きている人間の姿,さらには人命の尊厳などはかけらも存在しないのかと疑われるほど,財政一本槍の政策が打ち出されてきました.国民の健康阻害の防御壁である医療に対する抑制策は,傾斜が特に激しく,医療の本質を論ずることなくまったく無視されている状況が出現し,人間の命に価格づけを主張する学者さえ現れました.
 国民が税金と保険料という形で拠出している医療費は,国民の健康を保持し,健やかで安心できる社会生活を保障するために的確に使われるべきであり,経済政策の失敗の穴埋めに使われるために医療費が削減されるとか,命に価格づけをする政治は,近代福祉国家として失格であるといっても過言ではありません.あまつさえ,医療に株式会社が参入することを容認し,公共財である医療を食い潰す横暴さは,正に病的としかいいようがありません.
 この国家レベルでのリスクを防ぎ,近代的社会保障の理念の下で医療を理解させるためには,われわれ医師が,国民の信頼をバックグラウンドにして,良質の医療を提供することに専念すること以外に道がないと思います.そのためには,医療情報の開示,質の高い医療の提供,医療の安全性の確保を具体的に表現していってこそ,財政のみ頭にある財務官僚から国民を守る道が開かれるのであり,多少時間がかかり,回り道になると思われても,とにかく実行するしかないと確信しております.
 社会保障の充実は,国民に将来に向かって生活の安定を示唆し,いたずらに私財の備蓄に走る傾向を阻止することにもなり,一般消費の拡大をもたらすとすれば,疲弊した経済を復古させる口火ともなり得ます.
 総理が今国会の所信表明で引用された「他策なかりしを信ぜむと欲す」という陸奥宗光の言葉は,現在の心境を的確に表現されたものと理解できますが,こと医療改革に関する限り的確ではありません.むしろ,いまだ早計です.王道を歩んで医療改革を粛々と実行すれば,医師会は国民のための医療改革を完遂できるノウハウを備蓄してきていることを,総理はご理解いただきたいと思います.
 ところで,この際わが国は,社会保障費の分担意識を国民全体が持つべきだという合意形成を急いで作るべきだと思います.公助,互助,自助で表現され ているこの分担意識のなかで,特に自助を担う国民の意識が二十一世紀中盤ころから非常に重要になると考えています.それは,高度先進医療,例えば,遺伝子治療のような新しい医療技術は,国民に限りない恩恵を与えるとともに,一方では,医療費の増大に拍車をかけますし,費用の負担を担う若い世代の減少は,財源の円滑な準備を妨げます.社会保障費分担の場での自助財源の問題を,なるべく早い時期に解決しておかないと,社会保障は崩壊してしまうかもしれません.だれしもがその危機を認識しながらも,具体策が出てこない現状にさらに不安を感じています.
 日本医師会は,数年前から自助の具体的な政策として自立した備蓄による財源の確保(自立投資とも呼んでいますが)を提案しています.この合意が成功すれば,現在いろいろな思惑のなかで論点となっている混合診療とか,公民ミックスとか,個人の欲望にも似た主張は,消滅すると思っています.
 国民全体が近代社会保障の理念を取り上げて,わが国の社会保障が危なげのないものにすべきだと考えています.

(2)診療報酬改定並びに医療制度改革について

 小泉内閣の打ち出した財政構造改革によって医療費の大幅な伸び率削減が行われた結果,今回はかつて経験したことのないマイナス改定を行ったのでありますが,できるだけ激変を緩和するための施策を準備する必要がありました.その一つの具体的な対応が,自民党政調会長と交わした確認書の存在です.この確認書は,今回の一連の医療関係法の改正を対象として作られたもので,四項目からなっています.この確認書の各項目の約束がどこまで実行され,不合理なところが修復されていくかを見届ける作業が続いておりますので,最終的な確認書の評価は現在はいまだできていませんが,今後の推移を見て評価していくつもりです.従来にも日本医師会と自民党との間に取り交わされてきた数々の覚書や念書等は,実行されたことがないというのが下馬評ですが,今回は必ず確認した事項についての実現を図ってまいります.
 今回の診療報酬改定で修正を要すると指摘した第一点は,まず,入院期間が百八十日を超える患者に対する入院基本料の特定療養費化の問題ですが,この件については日本医師会の主張を妥当として,厚生労働省「課長通知」により,呼吸管理を行っている状態,肺炎等に対する治療を実施している状態にある患者など,新たに五つの病態や治療状態の患者については適用除外とすることとしました.今後,さらに不合理なケースが出てきた場合は,追加通知によって是正を図ることとしております.
 次に,症例数基準に基づく手術料の三〇%減額についても,当面の対策として,これも厚生労働省課長通知によって,施設基準の一部を緩和させました.しかし,これはあくまでも緊急的な措置であり,このような医学的根拠に基づいていない改定については,次回改定において撤廃すべきであると,厚生労働省には伝えてあります.
 整形外科や外科に影響の強いリハビリテーションの算定制限や,再診料の逓減等,根源的な不合理の是正については,現在,中医協において議論を戦わせるとともに,関係議員にロビーイングを継続しているところです.
 その一環として,先般,慢性疼痛疾患管理料と消炎鎮痛等処置などの算定について,制限緩和を行う旨,事務連絡が出されましたが,実際の診療の現場でどの程度の緩和策になっているか,調査を急いでおります.
 なお,多くの会員から強い要望のある「外総診」の廃止,撤廃については,第二次レセプト調査を実施し,その影響を把握したうえで対応を図る所存であります.
 また,専門技術に敬意をもって評価する意識の転換を図らせるにしても,認定医や専門医といった学会の資格が診療報酬に直接入り込んできたり,プロフェッショナル・フリーダムを否定したような行政手法は排除して,次回改定において,今回特に目立った減算方式から加算方式に転換することが妥当であると考え,厚生労働省に伝えてあります.
 すでに,自民党の診療報酬体系の見直しに関するワーキンググループのヒアリングも済み,日本医師会の提案する診療報酬体系の改革として,医療提供コストを織り込んだ再生産を可能とする体系の確立を強く主張しているところであります.そのほかの改革についても,順次,自民党を中心に説明を行い,理解を求める活動を積極的に展開していく所存であります.
 医療制度改革への対応については,今回成立をみました健康保険法等の一部改正法の附則に,日本医師会がかねて主張してきた医療構造改革構想に示している各制度改革項目が明記されておりますので,従来の主張を粛々と進めていく所存です.すなわち,高齢者医療制度の創設,医療保険の再編・統合,診療報酬体系の見直し,医療提供体制のあり方の検討などであります.
 自民党内には,これらの検討に関するワーキンググループが設置され,厚生労働省内にも制度改革推進本部が設置されました.
 日本医師会は,これらの項目については再三修正を加えながら,内容の充実および精緻化を図ってまいりましたが,国民のための医療構造改革をさらに推進するため,日本医師会内にも医療制度改革検討体制を構築し,作業を進めているところであります.
 健康保険法改正のうち,平成十五年四月一日から実施予定になっています自己負担三割については,参議院厚生労働委員会での厚生労働大臣答弁の内容を検討し,消極的な対応ではありますが,健保組合が従来から独自に保険財政を判断し,各組合が付加給付により実質的に自己負担割合を引き下げている手法を用い,厚生労働省がこの自主性を今後も尊重することで負担緩和を図る目途を立てております.なお,このことは,国保においても同様のことが可能になっております.政管健保については,政府の見通しに大きな誤差が生じたときに国会と相談するということになっています.
 今回の一連の改革のなかで実感したことですが,日本医師連盟の活動指針の再検討が必要であることと,日本医師会の医療政策の実現のために日本医師連盟も日本医師会の医療政策を具体的に政治の場にアピールしていく機能を持つべきであること,特に都道府県医連がきめ細かい医政活動を行うことの重要性を痛感しました.早速,「日本医師連盟の活動指針」の見直しを行い,都道府県医連の体力の強化策を含めた医政活動の立体的な革新を図るため,日本医師連盟本部内に医政活動推進委員会を設置いたしました.
 今後は,選挙支援活動のみでなく,日本医師会の政策決定にも参加し,日本医師会が政策集団としての資質を向上させる努力をしていきたいと思っています.

(3)広報活動について

 日本医師会が,国民サイドに立った政策を提言し,日本の医療を構築していっている実像を国民に理解してもらうため,攻めの広報活動を行っていくことをお約束いたしました.
 いまだ十分なものでないことは自覚いたしており,さらなる進展を図らなくてはならないと考えておりますが,現在,医師政治連盟の広報活動と協調して,「健康交差点」,「健康三叉路」などの印刷物を医療機関に配布し,患者等への広報にお使いいただくようにいたしております.
 さらに,具体的な方策を模索しつつ,約束しております情報・広報センターの設置を急ぎ,実効性のある広報活動を展開していく所存でおります.

(4)日医総研について

 日医総研は,医療環境の複雑化に伴って調査・研究の範囲が広まり,特に分子医学をはじめとする高度先進医学の急激な発達に日本医師会が対応するため,先端医療を地域医療の現場にトランスレートするための研究,例えば,オーダーメード医療などの地域医療化に関する研究などが取り上げられてきたため,量・質ともに充実,発展の方向にあります.
 さらに,急変する官邸指導型の医療改革に対応して出されてくる諸政策の医学的な根拠を検証して提言をするための作業が増えております.
 結果として,日医総研の事業は,十分に充実した発達を遂げているとご報告できますが,そろそろ第三世代の日医総研のあるべき姿を模索した将来構想を出さなくてはならないと考えておりますので,会員各位のご協力とご支援をお願いいたします.

(5)世界医師会について

 去る十月二日よりワシントンD.C.において開催されました二〇〇二年世界医師会総会において,世界医師会会長職としての三年間の任務を終了いたしました.
 会員各位の強力なバックアップをいただいたお陰により,多くの成果を収め,大任を果たすことができました.
 特に任期中,スイス・ダボスで開催された世界経済フォーラムから世界医師会としては初めての招聘を受け,遺伝子医学と産業について医学の立場からの見解を開陳できたこと,また,日本医師会から提案した「患者の安全に関するWMA宣言」および「高度医療技術と医の倫理に関するWMA宣言」が採択され,世界医師会に日本医師会の足跡を残すことができましたことは,偏に会員諸先生の高いご見識を持ったご支援の賜と深く感謝申し上げます.
 今後も,日本医師会が,世界医師会におけるオピニオン・リーダーとしての地位を継続すべく,積極的な活動を続けたいと思います.

(6)終わりに

 以上,今後の会務を遂行するにあたっての抱負を含め所信を述べましたが,小泉内閣の改革論の渦中で混迷を極める社会情勢だからこそ,単なる財政主導型の政策ではなく,人類生存の理法を尊重した,将来に不安を持たせない,安心して子育てができるという自覚の持てる社会保障制度を作るために,日本医師会が担っている役目は甚だ大きいことを再認識して,多角的視野を持って結束して国に奉仕していく見識を涵養していきたいと思っています.
 代議員各位並びに日本医師会会員各位のご支援を強く期待し,執行部に対するいっそうのご協力,ご指導を切にお願い申し上げ,ごあいさつといたします.
 ありがとうございました.


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