日医ニュース
日医ニュース目次 第1020号(平成16年3月5日)

NO.5
オピニオン

保険医療と「質」の矛盾
田辺 功(朝日新聞編集委員)

医療の質の確保が叫ばれて久しい.しかし,その質の確保を目指すほどに見えてくる現行保険制度の矛盾点について,今回は長年,新聞記者として医療に携わってきた視点から論じてもらった.(なお,感想などは広報課までお寄せください)

変わりはじめた医療

田辺 功(たなべ いさお)
朝日新聞編集委員.
昭和19年生まれ,東京大学工学部卒業.昭和43年朝日新聞入社.大阪本社学芸部,東京本社科学部などを経て,平成2年から東京本社編集委員.医療,医学担当.著書「ふしぎの国の医療」「医療の周辺その周辺」(ライフ企画)「漢方薬は効くか」(朝日新聞社)共著「医を語る」(黒川清教授と,西村書店)など.

 多くの識者が指摘するように,日本の保険医療は,基本の理念から,具体的な診療報酬の決め方に至るまで,現実とのずれが拡大している.ほとんどの議論は,医療費総額の増加を重視する.そのとおりではあるが,私は保険制度の崩壊につながる,より本質的な問題の一つとして,医療の質を指摘したい.
 私は三十年も医療報道に携わっている.病気や薬についての解説,薬の副作用,医療事故,新しい治療法や低侵襲医療を試みる病院の紹介,患者の権利,保険制度の矛盾や問題点などだ.読者の八割は患者を想定してきたが,二割くらいは医療関係者や専門家に読んでほしいと思って書いてきた.二〇〇一年出版の「ふしぎの国の医療」は,半分以上医療関係者に向けたメッセージのつもりだった.
 振り返ってみると,私の仕事は,「インフォームド・コンセント」と「医療の質の向上」だったと思う.昔は,がんの告知に限らず,医師は患者に説明をしなかった.わざわざシートの縁を切って,患者に薬の名前も知られないようにした.まして,薬の副作用情報や医療事故などは論外.国も病院も医療情報を秘匿した.新しい治療法の紹介だって,医療情報の開示だから,私も第一線時代は取材先から随分嫌われたものだ.
 二十年もの間,私たちがどう書こうと変わらなかった医療が,この数年,大きく変わり始めている.インフォームド・コンセントという言葉も普及したし,患者への説明もていねいになってきた.一方,専門医の有無や手術数などの広告制限の緩和が拡大されるなど,医療情報への抵抗が少なくなった.長期入院の入院費用の逓減制や,一定の手術数に満たない病院の手術料カットなどの診療報酬点数は,明らかに「質」を意識した改正だろう.

置きざりにされた「医療の質」

 かつて国民は簡単に医療を受けることができなかった.だれでも安く医療が受けられる制度として国民皆保険制度ができた.地域に多くの病院や診療所ができ,国民は近所の民間病院から遠くの大学病院まで自由にかかることができるようになった.その点で,国は見事に目標を果たしたが,その代わり,「医療の質」はつい最近まで,まったく無視されたままだった.
 保険制度では,同じ検査や手術なら,どの病院でも基本的には同じ料金になっている.どの医師もどの病院も均質の医療を提供できるとの前提だからだ.A病院とB病院の手術死亡率が〇%と五〇%と品質に格差があるなら,同じ料金でいいはずがない.
 心電図をベテランの専門医が見ても,研修医が見ても同じなのは,能力に差がないと信じるからだ.半人前の新人も,三人分働く看護師も均質と見なすから,看護師数だけで看護料のランク付けになる.いわば看護師の数が質を代弁している.それが正しい場合もあるが,少数の看護師が創意工夫でよい看護をしても報われない.医師数の不足も,結局は人数合わせだ.二次診療圏のベッド数も,一流病院とひどい病院も同じ一床計算で医療充足地域と判断される.医療の質を左右する麻酔医や病理医の処遇も点数上は冷たく扱われているのも,制度が「質」を評価しない証明だ.

現行保険制度の矛盾

 初めての腹腔鏡治療で患者を死なせた大学病院が非難されているが,保険制度では,本来,医師の診療範囲は制限されていない.これまで同じケースは山ほどあり,だれも責任は問われなかったのに,突然,昨年からそうでなくなったかのようだ.日本では,医師免許さえあれば,自分が経験のない診療科の看板を出して開業できる.心臓外科だけをやってきた専門医が,開業翌日から腹痛を診る.今春から臨床研修の義務化で医師はプライマリ・ケアの習得を求められることになったが,今のほとんどの医師は最初から専門科だけしか学んでいない.どの医師も知識や経験と無関係に薬を処方できる.抗がん剤の量を間違えて患者が死ぬと問題になるが,知識のない医師が効かない抗がん剤を処方して,副作用で命を縮めてもおとがめはない.専門医と非専門医も同格だ.手術の技術を問うなら,これらも当然,問われることになるだろう.
 そもそも保険制度のなかに事故の救済システムがないのもおかしい.事故は起きないという「無謬神話」があったとしか思えない.
 医療情報の公開で,本当なら従来の制度は危機に瀕する.手術数や専門医数,医療事故などが患者に伝わると,患者はレベルの高い病院や医師に集中する.資本主義経済下では,高品質の商品は高価格で,低品質の商品は低価格だ.そうすると,東京のA病院と地元のB病院の診療点数が同じことの合理的な説明が成り立たない.もし,難しい心臓手術は東京で受けるしかないとすると,地方の人の「いつでもどこでも医療を受けられるアクセス」は,まやかしということになる.アクセスの悪い地域は,保険料を安くすべきではないかという議論が起こる.そもそも同じ給付のはずの国保の保険料が,今でも数倍の格差があることも知られていない.

均質な医療実現は?

 こうした要求は,保険制度の根幹を揺さぶる.私は,国や医療機関が医療情報を隠してきたのは,これらの「均質神話」を守る必要があったからだと思う.しかし,厚生労働省は意識してか,せずにか,医療情報の開示に向かっている.患者本位の医療という意味では喜ばしいが,このままでは保険制度は立ち行かなくなるのではないか.国民が納得する程度の均質な医療が実現できればよいが,現実には無理がある.保険点数や自己負担に病院や医師の質の差を導入する一方,政策的に医療格差を少なくするしかない.米国のHMOは,医療レベルを守るために,評判の悪い医師,事故の多い医師,技術の下手な医師などは契約解消という手段をとっている.また,難しい心臓手術のできる病院のない地域には,国立病院に専門医を高給で迎えてでもできるようにするか,民間病院を補助して高レベルのセンターを維持するなど,平準化を工夫するしかない.

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