日医ニュース
日医ニュース目次 第1022号(平成16年4月5日)

NO.6
オピニオン

お医者さんの「元気」と「祈り」
玄侑宗久(作家・福聚寺副住職)

 診療中に発した何気ない一言で,患者さんとの間に意図しないトラブルが発生してしまったことはないだろうか.今回は,芥川賞作家の玄侑宗久氏に,患者さんとの良好な関係を築くための方策について論じてもらった.
(なお,感想などは広報課までお寄せください)

玄侑宗久(げんゆうそうきゅう)
福聚寺副住職(臨済宗妙心寺派).昭和31年生まれ,慶応義塾大学中国文学科卒.さまざまな仕事を経験した後,京都の天龍寺専門道場にて修行,現在に至る.その間,執筆活動も行い,「中陰の花」で第125回芥川賞を受賞.「水の舳先」「アブラクサスの祭」など多数の作品を発表している.

 以前父が,健康診断で「要精検」というハンコの押された結果をもらい,ずいぶん慌てたことがあった.それは「要精検」という漢字三文字のかもす力が,ずいぶん健康に悪いことを感じさせる体験だった.
 後に健康診断にかかわるお医者さんに訊いたところ,検査では少しでも疑わしければジャンジャン押すので,実際に再検査で重大な結果が発見されるのは五百人に一人だと云う.むろん自治体によってもずいぶん違うかも知れないが,ともあれ大部分の人はいたずらに心配してストレスを抱え込んだだけ,ということになる.「糠喜び」の反対であるこんな事態は,なんと表現したらいいのだろう.
 むろん,だからといって,私は健康診断を止めればいいと言いたいわけではない.ただ,表現をもっと柔らかくできないか,と思うのだ.「要精検」ではなく,たとえば花丸の四分の一だけ欠けたハンコとか,あるいは,「念のための検査をお勧めします」など,いくらでも柔らかく意味のある表現は選べるのではないだろうか.
 特に日本人の場合,お医者さんへの信頼感というか,お任せ感が強いから,ハンコだけでなく現場での表現の影響は甚大である.信頼するお医者さんからこれが効くと勧められればウドン粉でも効いてしまうことをプラシーボ(偽薬効果)と云うが,逆にお医者さんから「これは治りませんね」と断定されれば夢も抱きようがなくなるだろう.
 たとえば同じように血糖値が高い状態でも,「血圧も高いほうだし余病も起きやすい.このままだと透析するしかなくなりますよ」と威されるよりも,私なら「血圧もまあまあだし今のところ余病の心配もありませんが,もう少し血糖値を下げたほうがいいですね」と,優しく言ってほしいと思うのだが,それは甘えだろうか.
 いや,私は言葉で病気が快方に向かうということも,その逆もあり得ると思うのである.

医師の言葉の重み

 子宮がんを摘出した友人が,先日ある本で骨への転移の有無を骨髄で検査することを知り,自分にはその検査が必要ではないのかと主治医に訊いたらしい.
 するとその女医さんは,およそ次のようなことを言ったという.「あなた,知りたいんですか」「もし転移してると分かったら,あとはどれくらい生きられるか,という時間だけの問題になるんですよ.それでも知りたいんですか」病院からの帰り,彼女は泣けて泣けて仕方なかったと云う.
 確かに女医さんの言ったことは正しいかも知れない.少なくとも間違ってはいないのだろう.しかし医療の現場に期待されていることは,そんなことではないはずである.
 免疫学的に言っても,そうした言葉によるストレスが白血球中の顆粒球を異常に増殖させ,また著しい交感神経優位の状態になることでNK細胞も機能できなくなってしまうことは明らかだ.大袈裟に言えば,そのお医者さんは彼女の寿命を縮めたのである.
 事はどう言えばいいのか,という問題には止まらない.根本的には医療の現場をどう考えているかに帰着する問題だろう.おそらく言葉に出さなくとも,思いは伝わってしまうものだからである.
 むろん逆に,思いは些細な言葉に漏れ出てしまうものでもある.以前親戚を検査に連れていった大きな病院で,四十代のとあるお医者さんは患者さんのほとんどすべてのお年寄りを「おじいちゃん」「おばあちゃん」と呼んでいた.本人はそう呼ぶことで親戚のような親しみを演出していたつもりかも知れないが,そんなふうにイッショクタに呼ばれて喜ぶお年寄りはほとんどいないだろう.
 カルテを見れば名前は分かるのだから,やはり,個人としてちゃんと出逢ったことを,名前を呼んで示してほしい.忙しいのは承知で無理にお願いするのだが,やはり,お医者さんと患者との関係は,それ以前に二人の社会人の出逢いなのである.社会人としての言動が尊敬できなければ,そのお医者さんの治療も出す薬も,あまり効きそうもない.プラシーボの逆も,やはりあるはずである.

奇蹟を信じる医師に

 表現や思いを大きく左右するのは,お医者さん自身の心のゆとりかも知れない.これは東洋的な考え方かも知れないが,気を病んだ人に最も効くのは「元気」なのだから,最終的にはお医者さんたちに元気であってほしいと思う.病気もうつるが元気もうつるのだから,まずはお医者さんたちに元気になっていただき,それから元気を伝える表現を工夫してほしい.
 もっといえば,元気なお医者さんとの会話こそが病気に最も効くのである.統計的に見れば,こんな状況なら今後はこうなるだろうと,お医者さんは予測するだろう.しかし,患者たちはだれでも,自分だけは例外的な存在だと思いたいのだ.そこを刺激してもらえれば,絶大な快癒力を発揮することもあるのではないだろうか.つまり,お医者さんには,常に奇蹟を信じてほしいし,それが今この患者さんにおいて起こるかも知れないと思っていてほしいのだ.
 願ったことが叶うとは限らないが,願わないことが叶うことはあり得ない.お医者さんに望むのは,常に目の前の患者さんに奇蹟が起こるかも知れないと思っていただき,さらにそれを口にしてほしいということだ.それこそが元気なお医者さんではないだろうか.
 患者の家族の訴えなんか怖れず,予測寿命をぐっと長めに言ってみてはどうだろう.正しさを目指すのではなく,祈りを込めてそう言ってみることから,すべては始まる気がするのである.素人の暴言は承知だが,一分の理だけ読みとっていただければうれしい.

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