日医ニュース
日医ニュース目次 第1026号(平成16年6月5日)

No.8
オピニオン

今,眼の前にいる患者
曽野綾子(作家・日本財団会長)

 今回はこのコーナー初の女性執筆者として,作家の曽野綾子氏に登場していただき,医師と患者さんのよりよい関係を築くために,昨今の医師に欠けているものについて,いくつかの指摘をしてもらった.(なお,感想などは広報課までお寄せください)

曽野綾子(そのあやこ)
作家,日本文芸家協会理事,日本財団会長.昭和6年生まれ,聖心女子大学英文科卒.「神の汚れた手」「天上の青」など多数の作品を発表し,昨年文化功労者に選ばれている.
 自動車でも,テレビでも,人間の体でも,故障したら,専門家に治して頂いて使い続ける他はない.機械も人間も古くなるほど故障が増えるから,修理に出さねばならない回数も多くなる.
 しかし今私が使っている国産車は,もう十年以上になるがほとんど故障しない.型の古さも一目瞭然だし,カーナビもCDプレーヤーもついていないけれど,質実に走り続けてくれているので,我が友を健康なうちに廃車にする気にはならない.
 こうしたいい関係というものを,医師と患者の間にも作らねばもったいないとしみじみ思う.そしてそのようないい関係を保つためには,お互いに最低限守らねばならない約束事があるように思うが,今日は患者になる自分を棚に上げて,医師の側からだけ考えてみようと思う.

人間を学ばない医師が多過ぎる

 医師の基本的資質は人間的であるということだ.医師が治療するのは人間である.機械を治す場合には機械を知らねばならないように,人間を治す場合には人間を知り,人間との付き合い方に長けていなければならない.しかし問題なのは,昨今,病気は学んでも,人間を学ばない医師が多過ぎるということだ.
 私は人間を知らない医師がどうして増えたのか不思議に思う.医学部の試験が難し過ぎて,人とつき合う時間もなければ,小説を読む暇もない,という生活が長過ぎるのか,と凡庸な推測をする程度だ.
 小説が何だ,と思う人がいるに違いないが,私に言わせると,それが大きな問題なのである.私は人生の発見の仕方と感動の理由,人間の偉大さと卑小さのタイプのほとんどを,小説から学んだ.成人になり,さらに年をとってからは,実生活,例えば旅をしていて目の前に展開する光景や,小さなものを買いに入って一言二言口をきく店の主人のような人からも学んだ.しかし私が若くありながら心理的年齢において「年増」になりえたのは,小説を通してであった.
 このごろは,どの作家も若作りの心理と文章を売り物にしている.しかし医師と作家は,実年齢よりはるかに老成していなければならない.なぜなら,相手にするのは,同じ年頃の人ばかりではなく,自分よりはるかに年上の人のほうが多いからだ.或いは自分よりはるかに若い人ともつき合わねばならない.だから求められるのは,人を見る達人である,ということだ.
 ずっと以前中曾根元総理が,現職の時か,総理を引かれた後か忘れたが,原爆病院に行き「病は気からですから」と言って患者を励まされたことを,新聞記者がひどく叩いたことがあった.私はその時から総理の言われる通りだと思っていた.最近では日野原重明先生が「老人は,自分が健康だと思ったら健康なんです」とおっしゃって,私を初めとして皆がそれに賛成している.何も病気をほじくり出すように見つけなくてもいい.今日が心地よく,元気に満ちていたらそれでいい.これは私一人の好みだが,大切な国のお金を,健康保険で,老人がさんざん使って特に長生きしなくてもいいのである.
 しかし急な病気をほったらかしにもできない.その時には病院のお世話になる.その時に会う医師,入院する病院の運営が冷たいものだということは,個人の医師の人間としての成熟の失敗,病院としては経営の基本的な失敗と考えていいだろう.

「会話」は臨床医に必須の条件

 医師の中に患者とほとんど喋らない人がいる.こういう人は,まず患者と全人的に接触することができない人だから,臨床医にならない方が無難である.国家試験でも,こういう性格の人に免許を出すべきではない.法医学や病理学のようなものなら,人と人との感情的なやり取りは要らないから,口をきかなくてもいい.とは言っても,私は法医学者が,遺体を通して,死者に深い情と関心を持っていなければ,その職務を全うできないことを取材を通してよく知っている.
 患者とたとえ短い間にせよ,人間としてのふくよかな会話ができるかどうかということは,実に病気の診断と同じくらい大切な才能である.なくてもいい才能ではない.臨床医には必須の条件である.それはまず性格だが,性格になければ,訓練でそれを補う他はない.それには哲学や文学の本をたくさん読むことだ.そんなものはなくてもいいものだと思っている医師がいるとしたら,これは大きな思い上がりである.

権威におもねらず,貧者に恭しく

 最近は「威張る医師」と「お金に汚い医師」が,よく患者たちの間で噂されている.医師たちに対して,患者ほど恐ろしい評論家はいない.しかも鋭い患者の医師評論家は,多くの場合,私のようなお喋りではなく,黙っているおとなしい患者たちだから怖い.
 腹の立つ患者をどう扱うか,に関して,ドクターたちに一つ有益な方法をお知らせしようかと思う.
 私たちカトリック教徒は,神がどこにいるかを考える.冗談と本気を取り混ぜて,天の上の方,とか,心臓の中とか,答えはいろいろありそうだが,神学的に正しい答えは一つだけである.それは,神は,今我々が相対している人の中にいるということだ.VIP患者としてやって来た大臣の中にもいるが,不潔な服を着て意識不明で運び込まれて来たホームレスの中にもいる.だから医師は誰に対しても同じ丁重さと優しさを持って接するのが当然なのだ.権威におもねらず,貧者に恭しく,である.
 もちろん医師が無神論者の場合はこの限りでないだろうが,毎日,患者の数だけ姿を変えて現れる神と会い続けられる職業だと考えると,やはり医師という仕事は飛び抜けてすばらしいものである.

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