日医ニュース
日医ニュース目次 第1032号(平成16年9月5日)

No.11
オピニオン

医の倫理の現代化のあり方
ヌデ島次郎(科学技術文明研究所主任研究員)

 昨今頻発している医療事故を受けて,医師一人ひとりの倫理観が改めて問われている.そこで,今回は,日医の「医師の職業倫理指針」の作成に携わったヌデ島氏に,今求められる医の倫理について,語ってもらった.
(なお,感想などは広報課までお寄せください)

ヌデ島次郎(ぬでしまじろう)
 昭和35年生まれ,東京大学大学院社会学研究科博士課程修了.平成2年三菱化成(当時)生命科学研究所入所,平成16年より現職.専門は先端医療を中心とする科学技術政策論.著書に「先端医療のルール」(講談社現代新書)

 今年二月,日医は「医師の職業倫理指針」を公表した.現代の状況に即した医の倫理を改めて文章にまとめ,明らかにしたものである.
 私は,この指針の案を答申した「会員の倫理向上委員会」(委員長・森岡恭彦先生)に参加させていただいた.私のような,医師でなく,医療現場で働いてもいない,民間シンクタンクの社会科学畑の人間が,医の倫理を検討する医師会組織のメンバーになるというのは,昔であれば考えられなかったことである.
 医療と社会の関係が大きく変わり,医師だけが医療のことを決めるのだという考え方が過去のものとなって,日医も社会に開かれた姿勢を目指しておられるということなのだと思う.
 しかし,もちろん,医の倫理とは,素人にも意見をいわせておけばすむような生やさしい問題ではない.人の生命と健康を預かる医療という高度な専門職に携わる者が,個々人の心構えとしてだけではなく,集団全体として,一般社会に対し,自らどのように律していくかを示す重要な職業規範なのである.
 だから,医師でない者の考え方・感じ方も取り入れつつ,最後は医師の方々に,しっかり決めていただき,守っていただかなくてはいけないのである.

医の倫理のなかの二つの異なる部分

 私は,世で「生命倫理」と呼ばれている,生命科学・医学と社会の間に起こるさまざまな倫理的,法的,社会的問題の調査研究を専門としている.
 近年,大学医学部でも,生命倫理を題目とした講義をするところが増えているようである.「医の倫理」というと何だか少し時代遅れのようで,生命倫理という方が新しく,社会に開かれている感じを与えるかも知れない.
 だが私は,生命倫理とは医の倫理の現代版であるとは思わない.生命倫理を学べば,医学生はもはや医の倫理を学ぶ必要がなくなるとも思わない.
 生命倫理という言葉には,あまりに多くのことが込められ過ぎて,かえって何が問題なのか分からなくなっていると思う.クローンや臓器移植や代理出産を問題にする一方,がん告知や末期医療や安楽死も語られ,はては動物の福祉と権利とか,環境問題を考える環境倫理まで,生命倫理の名のもとに括られることがある.
 私は職業柄,生命倫理とは,「生命科学と医学の研究と臨床応用において守られるべき倫理」の略称であると,範囲を狭めて考えている.がん告知や安楽死の問題は,生命倫理ではなく,日常医療の倫理として考えるべきことだと思う.日常医療の倫理とは,個々の医師―患者関係という,伝統的な医療の枠組みのなかで,考え対応するべき事柄という意味である.
 それに対して,生命倫理で扱うのは,一対一の医師―患者関係に収まらない問題を含む事柄である.臓器提供者を必要とする移植医療,本人だけでなく血縁者や家族を巻き込む遺伝医療,生まれてくる子どもや,精子や卵の提供者という第三者を伴う生殖補助医療などが,その主な対象となる.
 こうした目から見ると,医の倫理には,大きくいって二つの異なる部分があることが分かる.目の前の患者のため全力を尽くす医師としての倫理と,ある病気や障害全体の予防と治療を試み,人類全体の福利を考え臨床試験を行う研究者としての倫理である.

開業医も研究参加者

 研究は,対象となる患者本人の利益となるとは限らない.むしろ,そうでないことの方が多い.医学研究なくして医療の発展はない.
 医師は,今自分は医師として患者に対しているのか,それとも研究者として対しているのかを,常に自覚していなければいけない.一人の特定の患者を第一にしなければいけない医師の立場と,医学研究を推進しなければいけない研究者の立場は,利害が対立することもままある.どちらを選ぶのかによって,どのようなルールに従わなければならないのかが変わってくる.
 そこで,最初に挙げた日医「医師の職業倫理指針」では,医師の責務を定めた第一章とは別に,研究者として従うべきルールを第三章に分けて記している.有名な世界医師会のヘルシンキ宣言は,いうまでもなく,研究者としての医の倫理を定めたものである.
 では,具体的には何が違うのか.
 いちばん大事なのは,いわゆるインフォームド・コンセントの条件だろう.日常医療で,患者本人のための治療の選択肢を説明して,どれにするかに同意してもらうのと,臨床試験で,必ずしも本人の利益にはならない医学研究の対象となることに同意をもらうのとでは,後者の方が条件が厳しくなる.
 日常医療のインフォームド・コンセントは医師の裁量の枠内で運べるが,臨床研究では,同意を求めることができるのは,第三者の審査を受け,妥当性が承認された計画に基づく説明同意文書によらなければならない.そうしたチェックが,いわゆる倫理委員会の使命なのである.
 これまでは,研究は大学病院のような限られた場で行われるもので,一般の開業医にはあまり関係ないと考えられていたかも知れない.だが今は,薬事法に「医師主導の治験」が導入されたり,医師会が会員を束ねて大規模治験を行うネットワークを作ったりしている.
 また,大量の一般医療情報が遺伝子解析データと照合され,「テーラーメイド医療」などといった掛け声のもとに動員されることもある.開業医も大学勤務医と等しく,常に医師であるとともに研究参加者であることが求められる時代になったといってもいいだろう.医の倫理の現代化は,そうした時代の流れに即応できるものでなければならないと思う.

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