日医ニュース
日医ニュース目次 第1072号(平成18年5月5日)

NO.31
オピニオン

人口減少時代の社会保障改革
小塩隆士(神戸大学大学院経済学研究科教授)

 わが国の出生率の低下は著しく,近い将来,人口減少時代に突入するといわれている.そのような時代に社会保障改革はどのように行われるべきなのか,小塩隆士氏に指摘してもらった.
(なお,感想などは広報課までお寄せください)

小塩隆士(おしお たかし)
 1960年京都府生まれ.東京大学教養学部卒業後,経済企画庁(現内閣府)勤務等を経て,2005年4月より現職.大阪大学博士(国際公共政策).主な著書に『人口減少時代の社会保障改革』(日本経済新聞社)『社会保障の経済学』(第三版,日本評論社)など.
 医療や年金,介護など社会保障のあり方を議論する場合,人口減少をどこまで意識するかで主張は大きく異なってくる.現行の社会保障の財源は,かなりの程度,現役世代からの所得移転によって成り立っている.この構造は,少子化が進み,財源の担い手が少なくなると機能しにくくなる.これはよく考えると当たり前のことなのだが,ではどのようにすればよいかということになると,高齢者向けの社会保障給付を減らすしかないという話が出てくるので,なかなか良い改革案が出てこない.社会保障改革は,すべての世代を同時にハッピーにせず,どこかにしわ寄せがくる,一種の「ゼロサム・ゲーム」である.

少子化の真の要因とは?

 この「ゼロサム・ゲーム」的状況から抜け出そうとして,最近では少子化対策の重要性がさまざまなところで喧伝されている.確かに,子どもの数が増えれば社会保障の財政的な問題はかなり解決する.財源を調達する層が再び厚みを増せば,高齢者向けの社会保障給付はこれまでの水準を維持できる.政府は,一昔前までは子育て支援を「産めよ殖やせよ」的発想で議論することに消極的だったが,最近では出生率の回復を目指すというスタンスを明確に打ち出している.そこまで人口減少に対する危機感が高まったということだろう.
 しかし,少子化という流れは,政策で簡単に反転できるものではない.少子化の原因の多くは,結婚後ではなく,むしろ結婚前にあると考えられるからだ.実際,既婚カップルの出生力はそれほど落ちていない.結婚後十五から十九年経過した夫婦の平均的な子ども数を完結出生児数というが,その値は一九七〇年代以降約二・二でほとんど変化していない.日本の男女は,結婚すれば平均で二人の子どもをしっかり産み育てているのである.
 もちろん,最近では,夫婦が産み育てる子ども数に減少の兆しが見られる.厚生労働省の「出生動向基本調査」を見ても,結婚後しばらく経過した夫婦の子ども数に,緩やかながら減少傾向が認められる.一人目の子どもは結婚後すぐに産んでも,二人目がなかなか産まれないという状況になりつつある.しかし,これは既婚カップルの出生力の低下というより,晩婚化の影響が大きい.厚労省が今年三月に公表した「出生に関する統計」によると,女性の平均初婚年齢は,二〇〇四年で二十七・八歳,第一子を産む平均年齢は二十八・九歳に達している.結婚しない若者が増え,結婚しても第一子を産む妻の年齢が三十歳近くということになると,第二子を産もうと思っても体力的な問題が出てくるだろう.とにかく若者に早く結婚してもらわないと,出生率は回復できないということになる.

社会保障改革で注意すべき点

 そう考えると,児童手当の対象年齢を引き上げたり,両立支援策を充実したりしても,あまり効果はないことが容易に予想される.それらは基本的に,既婚カップル向けの政策だからだ.子育て支援の充実で,若者は果たして結婚を早めるだろうか.早めるかも知れないが,それほど大きな効果は初めから期待できない.少子化対策はむしろ,国民が安心して,子どもを産み,育てられる社会の実現のためにこそ必要なのである.また,「社会の宝」である子どもを産み育てている世帯への社会的な支援としてこそ重要なのである.出生力の回復は,もちろんそれが実現できればすばらしいが,実は少子化対策の真の目的ではない.
 そう考えると,話は振り出しに戻る.人口減少という深刻な制約下で,セーフティー・ネット(安全網)としての社会保障の持続可能性を高めるにはどうすればよいか.この問題からわれわれはやはり逃れられない.筆者が望ましいと考える社会保障改革の方針は,いたって単純である.つまり,社会保障給付のうち現役層からの財源に依存している部分を,現役層が無理なく支えられる範囲に縮小するというものである.もちろん,疾病リスクや要介護状態になるリスク,所得を稼げなくなるリスクなど,社会的なリスクにさらされやすい高齢者は,できるだけ社会的に手厚い支援が必要である.しかし,そのためには財源が必要である.その財源調達のために,現役層が「こんなにたくさん負担できません」と音を上げれば元も子もない.これまでは,将来世代に負担を先送りすることもできたが,人口減少が進むと,それも難しくなる.
 「現役層が無理なく支えられるように」という発想は,政府による社会保障改革でもすでにかなり顔を出している.二〇〇四年の公的年金改革では,人口動態やマクロ経済の動向に応じて年金給付の水準を調整する「マクロ経済スライド」が導入された.これは,年金制度を現役層の「身の丈」に合わせることを狙うものである.昨年十二月に発表された医療制度改革大綱でも,高齢層の医療費自己負担の引き上げなどが盛り込まれている.現行の高齢者医療は,現役層にその財源のかなりを求めているのだから,これらの改革の方向は人口減少という要因を考慮するかぎり正しい.
 ただし,医療については次の二点に注意が必要である.
 第一に,同じ世代内で給付と負担が完結していれば,次の世代に迷惑がかからないから,給付規模が拡大してもすぐに問題が出てくるわけではない.ただし,これは高齢層の保険料負担の引き上げや消費税率の引き上げといった,あまり人気のない改革につながる.
 第二に,医療の場合は,医療サービスの効率化が全体を大きく左右する.今回の大綱でも,二〇二五年度時点で推計される八兆円の改革効果のうち,高齢層の負担引き上げによる効果は一兆円強にとどまり,残りは医療サービスの効率化に期待されている分である.人口減少の下では,供給サイドの効率化への取り組みが,医療制度の持続可能性を高める上で大きなカギを握っている.

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