日医ニュース
日医ニュース目次 第1078号(平成18年8月5日)

NO.34
オピニオン

サービス経済学から見た医療の質
井原哲夫(尚美学園大学総合政策学部教授)

 サービス経済学が専門の井原哲夫氏に,サービスという視点から見た場合,医療機関に求められる医療サービスとはどのようなものなのか,指摘してもらった.
(なお,感想などは広報課までお寄せください)

井原哲夫(いはらてつお)
 尚美学園大学総合政策学部教授.慶大大学院商学研究科修了,商学博士.昭和54年慶大商学部教授に就任,その後,統計審議会,中央社会保険医療協議会委員などを歴任し,平成17年から現職.
 主な著書に「コスト感覚」「サービス・エコノミー」「見栄の商品学」などがある.
 筆者の専門は「サービス経済学」というものだが,この視角から医療を眺めたら違った姿が見えるかも知れないので,試みることにする.
 工業製品では生産の結果である商品の質が問われる.医療の本来の目的は病気を治すことだが,ここが優れていたとしても,それだけでは必ずしも「いい医療機関だ」との評価は得られない.医師の腕が良くても,説明をよくしてくれなかったり,医療スタッフが不親切で愛想が悪かったり,長く待たされたり,待合室の居心地が悪ければ,患者さんから敬遠されがちになる.
 これには,きちんとした理由があるはずである.
 工業製品は「もの」であるために,運ぶことができる.工場で生産したものを小売店まで運んできて,それを消費者が評価して選ぶのだから,消費者は生産過程については関心をもたない.だから,メーカーは最も都合のいい方法を用いることができる.
 一方,サービス供給者に対するクレームとして多いのは,接客態度だという.サービスは機能であり,運ぶことができない.運べなければ,需要者が供給の現場に立ち会わなければならないことが原因である.医療機関も同様で,医療スタッフの感じの良さが,患者さんの医療機関に対する評価とかかわってくることだろう.

医療サービスの質を構成する要素

 医療の現場では,患者さんの病歴や病状に関する正確な情報を得るために,問診が欠かせない.
 これは,医師と患者さんの共同作業といってよい.そして,この共同作業がうまくいくことが,質の高い医療サービスの提供につながるから,医師はこれを意識する必要が出てくる.そして,医師と患者さんの関係が長くなれば,患者さんについてよく知るとともに,信頼関係が構築されるから,ますます質の向上が期待できることになる.「かかりつけ医」の成立である.
 これは,他のサービス分野でも多々見られることで,例えば,取引銀行(融資先の情報が分かっているため,融資がすぐできる),行きつけの飲み屋(客の好みが分かっているため,質の高いサービスが提供できる),などがある.
 医療機関に行くと待たされるのが常だが,これは多くのサービスに当てはまることで,必然性がある.サービス需要者には都合の良い時間帯があり,多くの需要者にとって共通性がある.
 結果として,需要が集中する時間帯と需要がまばらな時間帯ができる.供給者が,需要のピーク水準に合わせて供給能力を持てば,待たされる人はいなくなるのだが,非需要期には稼働率が落ちて高コストについてしまう.そこで,供給者は需要のピークよりも下に供給能力を設定して,平均稼働率を上げようとする.
 これが,需要期に待たされる理由だが,サービス需要者が待つ時間帯を快適に過ごせるのであれば,「質の高いサービスだ」との評価が高まることになる.診療所の待合室に行くと,座り心地のよいソファーがあり,テレビが見られ,さまざまな読み物が置いてあるのが,この例である.さらに,工夫の余地があるかも知れない.

医療に情報提供が求められる理由

 人々の行動には目的がある.そして,サービス供給者は,その目的達成の一部だけを手助けするのが普通である.私たちは楽しみを得るために旅に出るが,旅館は宿泊させるという旅行の工程の一部を担当しているに過ぎない.そのほかに,交通サービスは欠かせないし,レジャー産業にお金を払うことが多々ある.自分の足で歩く(サービスの自給)こともある.このとき,旅館は他のサービスに関する情報提供やつなぎの役をうまく果たせば顧客から評価される.おもしろいところを教えてくれたり,タクシーの手配をしてくれるのはこの例である.
 医療の場合も同じで,病気を治すには,医療機関のサービスのほかに,自宅での療養が欠かせない.このときの患者さんは素人である.だから,専門家である医師は,患者さんに対して,病状について親切に説明し,薬の飲み方を含めて自宅療養のあり方について,親切に指示してくれることが求められるのである.
 その前に,患者さんはどのような医療サービスを受ければ,病気から解放されるかの知識が乏しく,これが患者さんにとって不安の原因になる.だから,採用される治療が病気を治すうえでどういう効果を持っているのかということ,またその治療がどう効果を上げているのかについて,きちんと説明することが,患者さんから歓迎されることになるのだ.
 ところで,多くのサービス取引では,供給者が「ありがとうございました」と言って,需要者に頭を下げるのが普通である.ところが,教師と生徒の関係,医師と患者さんの関係,僧侶と檀家の関係の場合には,需要者の方が頭を下げる.
 これらのサービスの共通点は,質(効果と言ってもよい)が評価しにくく,しかも需要者が高い質を求めるところにある.このような慣行ができた背景には,供給者の権威を高めておいた方が信頼性が増し,需要者は,より高い質のサービスを受けたような気になれるという,無意識の気持ちがあったとも考えられる(これだけではないだろうが).僧侶がペコペコしたのでは,“霊も成仏できないのでは”との危惧を,需要者が持つかも知れないところからも想像できる.
 医療には,以上のような付随したサービスのほかに,患者さんから見た安全を含めた「信頼性」が,きわめて重要なのが理解できる.

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