日医ニュース
日医ニュース目次 第1145号(平成21年5月20日)

救急におけるいわゆる「たらい回し」の表現について
石井 正三 救急担当常任理事

 地域医療崩壊が叫ばれるようになった最近,一度死語になっていた「たらい回し」という言葉が,一部報道などでまた使われている.しかし,地域における救急体制整備を進める過程で呼び習わされた状況と,今日の状況とはかなり違うものである.これを,同一の用語で表現することによって,救急医療に関係するすべての施策や不断の努力が水泡に帰しているかのごとくにとらえられることには,大いに違和感がある.

歴史的経緯と言葉の原義

 「盥(たらい)回し」の原義は,仰向けに寝て盥を足で回す曲芸を指すようである.その芸の中で盥を回しながら受け渡すものであるから,現在は,なれ合いで他者へ順送りする,あるいは責任を転嫁する表現として用いられている.
 第二次世界大戦後の日本では,重篤な疾病の治療といえば絶対安静が主流だった.以前,重症者には絶対安静の対応しかなかったが,まさかの時には救急搬送してでも,必要な医療の場で治療を受けることが望ましいという概念が国民に浸透し,必要な施設整備と人材育成が進められた背景には,昭和五十年,当時ノーベル平和賞を受賞した佐藤栄作元首相の急な脳卒中発病とその不幸な転機という事象が歴史的転換点としてあったと思われる.外傷対応を目的に整備が始められていた救急医療が,昭和五十二年度には,初期・二次・三次医療と救急医療情報システム整備としての財政的裏付けを伴うことになり,この頃頻繁に使われたのが「たらい回し」という表現である.
 一刻も早い治療体制を願う国民の熱い期待を背景として,昭和六十年度以降には,二次医療圏ごとの体制整備が進められた.さらに,昭和六十一年度には,消防法改正によって,正式に患者搬送は,事故のみから内科疾患にまで拡大された.平成四年度には救急救命士の育成も始められ,次第に「たらい回し」という表現も使われなくなったのである.
 平成十三年以降はメディカルコントロール体制整備とその下での救急業務拡大を順次認めることによって,一層の病院前救護の充実も図られた.また,行政を始め,医師会や救急業務の関係者が担い手となって,各地でAED(自動体外式除細動器)の配備と救急思想の普及,そして心肺蘇生法の講習が一般国民向けにも行われ始め,昨年末までに全国のAEDの配備台数は約二十万台に達している.

「受け入れ困難事例」の顕在化

 その一方で,医療費亡国論を始めとする医療費抑制の声が大きくなるにつれて,平成十年には,一部過重労働への言及がみられるものの,「医師は将来過剰になる」との論調が厚生省(当時)の報告書に記述され,平成十四年度には戦後初の診療報酬の引き下げ改定も行われた.同時進行的に,平成十年度には休日夜間急患センター,平成十六年度には在宅当番医制,平成十七年度には二次病院群輪番制度,そして平成十八年度には,公立の救命救急センターに対する補助財源が地方の財政事情に任せるとして一般財源化され,国の施策から次々と消えていった.この間,医療側では専門分化や多様化が進行し,また,安易な時間外受診例も無視出来ない数となった.現場医師や地域医師会などの協力を得た小児救急電話相談事業なども進められたが,救急現場の状況を抜本的に進めることは,むしろ留保,または後退せざるを得ないような状態であった.
 米国においても,一九八〇年代より「救急患者受け入れ困難事例」の問題が顕在化した.米国ではいわゆる「たらい回し」のような事象に対しては“dumping(日本語で投棄・ゴミ捨て)”という強烈な表現が用いられる.拡大する経済格差を背景に,現在でも救急医療機関への患者受け入れ状況に関しては,現在の日本以上に深刻な問題が山積されているのも実情のようである.

「救急患者受け入れ困難事例」解決に向けて

 国民の求める質・量ともに充実した救急医療体制の整備拡充に応えるためには,この停滞状況を乗り切ったうえで,今後,当分の間,救急の前線から後方病床や在宅環境の充実まで,地域医療再生への諸課題解決と救急医療提供体制を確保する重点的な施策展開が必須と考えられる.ちなみにイギリスでは,ブレア政権下で,五年間にわたる医療費増額と体制整備が行われ,極度に低下した医療の再建策が図られている.
 ここまで見てきたように,全国の二次医療圏における病院前救護業務を含めた救急搬送体制と救急医療の現場では,一刻の猶予もない状況で,常に最善の医療提供の努力が継続されている状況にあり,使い古されたいわゆる「たらい回し」という,体制整備前の状況に逆戻りしてしまっているわけではまったくない.国民の人口構成と疾病構造の変化により,単純な急性疾病だけでなく,持病やさまざまな社会的要因を持った高齢者も増加しており,国民のニーズも一層多様化している.
 疲弊を抱えながら頑張っている医療現場を支えるさまざまな試みも,地域医師会などによって各地で始められており,厚生労働省においても,それらを施策化するための会議が招集されるなか,財政優先で悪評が高い毎年の社会保障費二千二百億円削減の政策も,ようやく本年度からは取り下げられる流れとなってきている.
 行政的には「受け入れ困難事例」と表現されている複数回の救急からの問い合わせ事例増加や近年の搬送時間の延長には,最適なマッチングを図る問い合わせ手順の自動化による回数増や,救急業務拡大による複雑化した手順を施しながら搬送する事例も含まれていると考えられる.また,近年進められた病院集約化や公立病院の累積赤字を反映した業務縮小なども,地方の地域住民にとっては,これまでのアクセスしやすい近隣の医療機関から遠方に行かざるを得ない状況を作り出し,救急搬送自体にも少なからざる影響を与えていると思われる.世界的規模で進行している都市部への人口集中によって,社会基盤の相対的脆弱(ぜいじゃく)化が起こっている可能性も否定出来ない.
 このように見てくれば,さまざまな施策自体の見直しや,ドクターヘリを含めた搬送方法の導入など,取られるべき対応策においても,また,複雑化した事象を反映したものとならざるを得ないはずである.
 繰り返しになるが,これらあり得るすべての事象を勘案したデータの解析と,ケースごとの事後検証の両者を重ねながら,今日的事象の解決策を見いだすべきである.救急医療における歴史的な経緯を無視し,現場の努力を切り捨てるような古いネーミングを軽々にかぶせ,誤った原因探しや無用な圧力を与えることで,救急現場の活動に遅滞を生ぜしめると,国民の享受すべき利益を毀損(きそん)する結果につながるおそれもある.
 本来,救急医療における救命の輪は,まずバイスタンダー,すなわち隣の人がまさかの健康危機におそわれた場合に積極的に救命に協力することから始まり,「善きサマリア人法」という慣習法から始まる善意に基づく行為には結果責任を問わないとの合意に基づいて,欧米において普及が図られてきた経緯がある.親しい人や大切な人の生命や健康を救う方策が,地域において隣人とも助け合える関係を構築するのである.この根本思想は,地域医療においてのみならず,最近必要性が叫ばれている地域再生のキーワードとして,ヒューマニズムの原則に立脚した行動規範としても,とらえ得ると考えている.

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