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日本医療小説大賞

2016.6.16
日本医療小説大賞(日医主催、厚生労働省後援、新潮社協力)は「国民の医療や医療制度に対する興味を喚起する小説を顕彰することで、医療関係者と国民とのより良い信頼関係の構築を図り、日本の医療に対する国民の理解と共感を得ること及び、わが国の活字文化の推進に寄与すること」を目的として創設したものです。

※日本医療小説大賞は、第5回をもちまして休止となりました。

選考委員

【50音順】【写真提供:新潮社】

第5回(平成28年度)
◆受賞作品 「長いお別れ」
◆著  者  中島 京子
◇内容
東家の大黒柱、東昇平はかつて区立中学の校長や公立図書館の館長を務めたが、十年ほど前から認知症を患っている。
"少しずつ記憶をなくして、ゆっくりゆっくり遠ざかって行く"といわれる認知症。ある言葉が予想もつかない別の言葉と入れ替わってしまう、迷子になって遊園地へ迷い込む、入れ歯の頻繁な紛失と出現、記憶の混濁...日々起きる不測の事態に右往左往するひとつの家族の姿を通じて、終末のひとつの幸福を著者独自のユーモアなタッチで描き出した傑作。
◇著者略歴
1964年、東京都生まれ。東京女子大学文理学部史学科卒業。出版社勤務、フリーライターを経て、2003年、『FUTON』で小説家デビュー。
2010年『小さいおうち』で直木賞受賞、2014年『妻が椎茸だったころ』で泉鏡花文学賞、2015年『かたづの!』で河合隼雄物語賞、歴史時代作家クラブ賞《作品賞》、柴田錬三郎賞をそれぞれ受賞した他、『長いお別れ』は第10回中央公論文芸賞を受賞している。
◇受賞の言葉 高齢者とともに生きる-中島京子
『長いお別れ』は、認知症を患った父を介護した経験から生まれた小説です。執筆中に父は逝去しました。私個人の体験と記憶に深く依拠しているという意味で、私にとって特別な小説となりました。
しかし、この作品は、私の思惑を超えて、たいへん幸福な読まれ方をしました。読んでくださった方々が、みなさん、認知症になった親しい誰かを介護したり、見送ったりした思い出を重ねて読んでくださるのです。
それは、日本が高齢化社会を迎え、誰もが高齢者とともに生きる日常を持ち、自らも高齢者として生きる体験をする時代になっているからだと思います。
このたび、「日本医療小説大賞」に選んでいただくという光栄に浴することになったのは、そもそも高齢者の医療と介護への関心が高まっていることの表れではないかと思います。この小説が、日々、認知症患者と向き合っている方々に、息抜きでも、ちょっとした笑いでも、慰めでもいい、なにがしか提供できたらと願っています。
◇選評 医療小説というジャンル-篠田節子
『長いお別れ』については、小説としての質の高さ、技法の確かさが群を抜いていると感じた。「介護」はテーマではなく題材にすぎず、問題提起もメッセージもない。主な介護者である妻の視点から描かれれば、共倒れ、虐待寸前の現実に肉薄する「訴える小説」になるところだが、そうした迫力は文学的な価値とは無関係だ。認知症が進行しても好人物である父をめぐる登場人物たちの右往左往が、卓越したユーモアを以て軽妙に描かれている。
特にアメリカに渡った一家とのふれあい、というより接触が、何ともしゃれている。娘婿の元交際相手の出現ににやりとさせられ、その展開に喝采した。長男の失恋に老人がわけもわからず寄り添うエピソードは秀逸の一言だ。総じてどこかしら距離感のある娘たち、孫たちの、誤解と理解が良い味を出していて読み手を魅了する。臨終を看護師の言葉によって暗示し、孫と教師のやりとりによってしめくくるラストも印象的だ。
一方、議論の中で、「従来の治療概念の中では限定的な手段しか見いだせない認知症を、制度面も含めケアの側面から描いたという点で、最先端の医療小説ではないか」という意見もあり、まさにその通り、と賛同するものである。
『人魚の眠る家』は、人の生と死の境界はどこにあるのか、意識と身体はどのように繋がるのか、といった問いかけを、両親と少女の事故に関わった妻の親族、妻に引きつけられていく若者といった人々の、痛切な心情を通して描き出した力作だった。脳死状態の少女の体を電気刺激によって動かすテクノロジーに小説的な説得力があり、それがエスカレートしていく不気味さを、母親と技師、家族、周辺の人々の感情のずれを通して描き出しているのが見事だ。一方、臓器移植についての物語展開では、ミステリに不可欠な論理的整合性と幾何学的な構造が、体感としてのリアリティーを重視する世俗小説のジャンル内では作りものめいて不自然に見えてしまう。ジャンルを無視して小説を書いている同業の者としても悩ましい問題だ。
『ヒポクラテスの誓い』は小説的な企みと構成において秀でている作品だった。毎回、解剖によって明らかにされる事実に読者として期待し、家族への説得場面にうならされ、結果にうなずく。だが、すっきりしない。あるいは、これだけのことか、とあっけなさが残る。ところが読み進むうちに、シリーズ短編に見えた作品が長編ミステリの骨格を持っていることを知らされ、最後に大きな謎が解ける。凝ったプロットに比して、登場人物たちがいささかキャラクター小説的過ぎると感じるのは、こちらの歳のせいか。
『藪医?ふらここ堂』については、医療をめぐる問題や世相を江戸時代に移行したもので、四作の中ではもっとも医療小説的な作品であると同時に、主人公の成長を軸とした青春小説でもある。しかし現代的なテーマを狙ったためか、時代考証上の疑問がいくつかあり、人情の機微に疎い朴念仁である私には、この小説の良さがよくわからなかった。
◇選評 上質な読み味-久間十義
今年はどの作品も粒ぞろいで甲乙つけがたく、手にとって読んだ順番が微妙に評価に影響するような、むずかしい銓衡になった気がしている。
受賞した中島京子さんの『長いお別れ』は心にしみる小説で、懐かしい上質な日本映画を見るような、細部に行き届いた視線が素晴らしかった。他の三作が筋立てやキャラクタの立ちぐあいで読ませる、いわゆるエンタテインメントと呼ばれる種類の小説だったこともあって、異なった読み味で魅了した。
この小説のように著者の個人的な経験に裏打ちされ、にもかかわらず全面的に自分を持ち出さない独特の読み味は、長い私小説の歴史を持つ私たちにとってどこか心地よく、すんなりと受け入れられる下地があるのだろう。私は愉しく、いわゆる中流家庭を描く作者の企みにのせられて、いちいち頷きながら頁をめくった。
とはいえ私はこの作品をいの一番に推した訳ではない。何故ならこの小説を医療小説である、と断言することがどこか躊躇われたからだ。たぶん著者もそんなつもりは毛頭なかったのではないか。この小説は医療小説と呼ぶよりも家族の物語だ。認知症を患い、やがては死を迎える父を中心に、その妻や三人の娘、孫たちを描き、著者が掌の上に繰り広げているのは、いわばメモリアルな世界とでも呼ぶべき性質のものだろう。
医療小説と呼ぶためには、病気と闘い、それを克服するための人々の努力や協働が描かれていてほしい。深い考えがあるわけではないが、そう私は思う。しかし、現代の医療はキュアよりもケアがクローズアップされる現実がある、という医師会の先生方の説明には深く頷くところがあった。認知症患者のケアを扱ったこの小説が、医療小説の一つのかたちであることも、また確かなことのように思われた。
惜しくも受賞を逃された他の三作は、三作ともが手練れのエンタテインメントであったことが、逆に印象を損ねたきらいがある。比較して、他と際立って違う骨法と映るものがあるとき、人は自然とその作品に目を惹かれるようだ。心理の傾きとご海容願いたい。
毎回感じることだが、銓衡をするということは、最終的に自分自身に返ってくる所業に違いない。他の三作品に敬意を評しつつ、『長いお別れ』の受賞を寿ぎたい。中島さん、おめでとうございます。
◇選評 キュアではなくケア-養老孟司
医学の知識経験がいちおうあるために、受け入れにくい小説がある。もう医学から離れて二十年以上だから、かなり治ってきたが、まだ残留症状がないではない。いくらなんでも、これはないよ。そう思ってしまう場合があって、それが興を削ぐことがある。
今回ではそれがまったくないのが中島京子『長いお別れ』。ほとんどドキュメントに近いから当然であろう。医療小説というより、むしろふつうの小説として読んだ。認知症の問題を扱っているけれど、暗くならないのがいい。家族の状況が生き生きと描かれている。医療としていうなら、キュアではなく、ケアの問題ということになる。
朝井まかて『藪医?ふらここ堂』も時代もの、かつ人情ものだから、医療という意味からの抵抗感はとくにはなかった。他の選考委員からこの二作の推薦があって、私は初めての参加だから、しばらく悩んだが、結局より難点が少なかろうと思う『長いお別れ』を推すことになった。
東野圭吾『人魚の眠る家』は脳死後臓器移植に関する一種の模範答案として読んだ。その意味ではたいへんよくできた作品である。こんな状況は実際には起こらない。そこが難点といえばそうだが、じつはそこが問題なのではない。断固として娘を「生かし続けようとする」母親が最終的には翻意するという、いわばハッピーエンドになっている。臓器移植を是とする立場から観念的に創られた小説といってもいい。私は移植された臓器が生きている以上は、移植は共生体を創っていると考えている。心臓が生きているのに、ドナーを死者とするのはいわば脳至上主義である。それを疑う人がほとんどいないのが現代なのである。しみじみ「脳化社会」だなあと思ってしまう。
中山七里『ヒポクラテスの誓い』はむしろマンガにするとよかったかと思う。かなり面白いマンガになったのではないだろうか。むろん私はマンガをバカにしているのではない。文章だけにすると、この作品の長所が十分に生きないように思う。日本の場合、ファンタジーやSFのように誇張性が高い場合は、マンガというジャンルが有効である。娯楽性への志向の強い作品なら、マンガという形式は考えてみる価値があると思う。「こんなこと、あるわけないだろ」という問題は、マンガでは消しやすいのである。
日医ニュース(平成28年6月20日号)
 第5回日本医療小説大賞 授賞式 中島京子氏の『中島京子』が受賞
定例記者会見(平成28年2月24日)
 「第5回 日本医療小説大賞」受賞候補作品決定について

 

過去の受賞作品

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