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ミクロの力で


野崎 幸子(47歳)千葉県鎌ヶ谷市・病理検査室事務

 12年前、35歳になったばかりの頃だった。舌がん、頸部リンパ節転移の診断を受け、舌半切と頸部リンパ節郭清の切除手術、そして、切除した舌の部分に大腿から皮膚と脂肪を移植する再建手術を受けた。

 当時、長男は小学1年生。次男は4歳。「母のいない子」にしたくなかった。「母の記憶が無い子」にしたくなかった。インターネットの普及していない時代。治療にかかわる情報は、人づての話と本や雑誌などで収集する以外なかった。僅(わず)かな知識を得て湧き立つ不安と疑問に、担当の先生は専門的な内容を分かりやすく真摯(しんし)に説明してくださった。

 そこで初めて出会ったのが「病理」という言葉だった。肉眼では見ることのできない細胞の世界で、がんを診る医師がいるという。

 担当の外科の先生は、「僕らは手術前の様々な検査結果と視診、触診、患者さんの希望などをもとに手術の計画を立てます。でも実際には切って中を見てみないと分からないこともあって、予想以上にがんが広がっている時には予定より大きく切除してがんを取り切ります。そして、本当にがん細胞が切除し切れたかを確かめるため、術中急いで切除したものを、1ミリの1000分の1の、ミクロンの単位まで薄くスライスして、病理の医師が顕微鏡で診断します」と教えてくださった。がん細胞の悪性度も分かり、術後の治療方針にも役立つという。そうか、私の舌は舌切雀のように、ただ切り取られるのではない。治療に役立つように活用もされるのだ。担当の先生のお話を伺っていると、厳しい現実とそれに懸命に対応していただける幸せを感じた。

 手術は成功した。病理の診断でも、がんは取り切れ悪性度も高くないとのことだった。けれども、病棟には「全部がんは取り切れたって喜んだのだけれどね」「これで3度目の入院だよ」とお話くださる方々もいらっしゃり、自身の退院後にも2週間に1度の診察が続く。再発や転移はそんなにも早くやってくるものなのだろうか。診察が終わり次回の診察予約日を聞いては2週間寿命が延びたと思った。大切な2週間、息子達とどう過ごそう。

 共働きで、息子達は1歳になる前から保育所のお世話になっていた。術後、職場は私の復帰を待ってくれたが、余命が分からない私は息子達と過ごす時を選び退職した。そして、休日に家族であちこちの公園へ出かけては、息子達と遊び写真を撮りまくった。また、来年用の服や靴など、先々使うような物を購入しては、引き出しにラベルを付けて仕舞った。

 薄氷の上を歩むような月日が流れ、2週間に1度の診察が3週間に1度の診察になり、やがて半年に1度に、そして1年に1度となった。がんから逃れられた。生きて行ける。

 再び「病理」という言葉に出会ったのは、「ハローワークインターネットサービス」を見ていた時だった。2人の息子も大きくなり、もう一度社会に出て働きたいという気持ちがあった。けれども、術後上手(うま)く話せなくなった私は、自分から人に話し掛けるということが苦手になっていた。おしゃべりをしたいという思いは本当に持っているのに、言葉が不明瞭なため会話が中断しがちだからだ。「聞き返す」ということは意思疎通には欠かせないことなので何度でもそうしてほしい。でも、相手もしにくいことであろうし、私も通じない発音を少し悲しく思う。また、上手く発音できそうな表現を探しているうちに話が終わってしまうこともよくある。そんなジレンマの続く、47歳の夏の終わりの頃だった。

 隣接する市の病院で「病理検査室」の事務職を1名募集していた。再発、転移の不安に駆られた時、いつも言い聞かせていた「がんは取り切れた」「悪性度は高くない」の病理診断。その病理診断にかかわる方々の働く職場。あの時は、お会いすることもお礼を言うこともできなかった。医療の職場で働いたことも事務の経験も全くないけれど、生物や化学は好きな分野だ。働きたい。ここで働いてみたい。救っていただいた命を、救う側の末端で、ミクロの力として使うことができたなら、どんなに喜ばしいことだろう。「病理」という言葉が私を動かした。

 履歴書には舌がんの後遺症で言葉が不明瞭であることをしっかり書いた。それが業務の差し支えになるのなら書類選考で落ちたほうがいい。けれども、私は採用された。「大変な思いをされましたね」。面接時、病理の先生からいただくお言葉一つひとつから、「細胞」を「検体」として診断されるだけではない、そこには「人生」があるという深い認識をお持ちだと感じ入った。人事の方も「病理検査室」は大勢の患者さんと接する「受付」などと違い、限られた方との交流なので、言葉の心配があることを話しておけば大丈夫と励ましてくださった。新しい人生がスタートした。

 病から命を救っていただき、今再び心を救ってくださった医療の世界。この喜びと感謝の念を忘れずに心を込めて働いていこうと思う。