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その手のぬくもりに


藤田 智恵子(46歳)青森県南部町・自営業

 それは突然だった。

 我が身にいきなり降りかかった「顔面麻痺」という病気。朝目覚めたとき、鏡の中の自分は、顔右半分がだらりと崩れ落ちた別人になっていた……。

 多くの顔面麻痺は、原因不明で突然起こる特性を持つという。私の場合も例外ではなかった。前日まで何の兆候も自覚もなかった。総合病院での様々な検査の結果、原因不明と医師に告げられ薬が処方される。

 顔面麻痺の症状はきつい。顔の右半分は全く力が入らず、どのパーツも動かない。右まぶたは閉じることができず、瞳が乾きヒリヒリ痛む。聞こえが悪くなり圧迫感のある右耳、穴が塞がるように垂れた右鼻、ひょっとこのようにぐにゃりと曲がった口……。

 上手く喋れず食事も取れず、一週間で四キロの体重が落ちた。
それでも私は、大きなマスクをかけ
「なぁに、すぐに治るから!」
と笑って過ごした。高三、中三の息子達は、それぞれ大学、高校の受験を間近に控えている。心配はかけたくない。体を気遣う夫と、同居の義父にも努めて明るく振る舞った。

 家業も普段通りこなした。酒屋を営む我が家は、それでなくても人員不足。マスク姿でレジに立ち、配達にも走った。

 けれど、薬を飲み続けているにもかかわらず、下がった顔は元へ戻る気配がない。そして発症から一ヵ月後、ほとんど回復が見られない現状に、医師からリハビリを勧められる。「リハビリ」という言葉に、初めて回復の遅さと病気の厄介さを痛感した。

 病院内のリハビリ室は、想像していたより広く明るい。十人程の患者さん達に数人の看護師さん達が付き添いながら、それぞれ器具を用いてリハビリをしていた。私は白髪の男の看護師さんから担当のあいさつを受け、台の上に横たわった。看護師さんは、麻痺側の顔を十五分程マッサージすること、毎日通ったほうがいいことなどを、田舎なまりの穏やかな口調で端的に説明し、私の顔に触れ始めた。あたたかな手は程よい力加減で、私の顔半分を滑る。余計なことは尋ねず触れず。私を傷付けまいとの気遣いが伝わる。

 病院の診察は週に一度だったが、マッサージには毎日通った。十五分のマッサージが頼みの綱に思えた。

 私のリハビリスタートから、一週間程たった頃だったろうか。いつものようにマッサージを受けていると、近付く男の人の声。

「よぉ、この人は何やってんだ?」

 車椅子に乗った中年の患者さんだった。

「顔のマッサージよ。エステみたいなもんだ」

 私への配慮だったのだろう。看護師さんは、そうその場を明るく収めようとした。すると、

「はぁー、のんきなもんだなー。こっちは汗水流してリハビリしてんのによ」

 その患者さんは強い口調で言い放った。悪気はなかったと思う。苦しいリハビリをしている患者さんにしてみれば、私はただ横になっているだけのお気楽に見えたのかもしれない。身が縮む思いの私の横で看護師さんは、

「いや、説明不足ですまねかった。この人は顔面麻痺でね。女の人が顔の病気なんて、どれだけ辛いことなんだべなぁ」

 そう柔らかに、患者さんに伝えてくれた。

「そぉかぁ……勘弁な。頑張れよ!」

 励ましの言葉を残し、車椅子が離れていく。と……不意に胸に突き上げてくるものがあり仰向けに横たわる私の瞳から涙がホロホロとこぼれた。後から後からせきを切ったように溢れる。そして初めて自分の心に気が付いた。

「あ……私ずっと辛かったんだ……」

 看護師さんは、ハンカチで私の頬を静かに拭ってくれた。その感触からハンカチがしわくちゃなのがわかる。朴とつなこの看護師さんらしい。そして、マッサージを続けながら、飾り気のない短い言葉をそっとかけてくれる。

「……きっと治るから」

 私の中のぴーんと張り詰めていたものが、その手のぬくもりに、ゆるゆると緩んでいくような気がした。周囲に心配をかけまいと、気丈に振る舞っていた自分。涙が幾筋も耳に伝わる。その度に看護師さんは手を休め、何も言わずハンカチを当ててくれる。静かな心遣いは、いつも患者さんの気持ちにそっと寄り添う、その人柄のままに感じられた……。

 そうして顔面麻痺は、ゆっくり……ゆっくり……薄皮をはぐようにゆっくりと快方に向かっていった。麻痺発症後三ヵ月が過ぎた頃、私の顔は元の笑顔を取り戻していた。

 もう今日でリハビリ卒業という日の帰り際、何度もお礼のお辞儀をする私に、看護師さんは照れるように小さく手を振ってくれた。そのあたたかな手は、また次の患者さんの汗と涙を受け止めてあげるのだろう。私は、感謝の笑顔いっぱいにリハビリ室を後にした――。