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介護されるのは幸せ?


小嶋 葵(15歳)東京都板橋区・中学3年

 私には、今年十一月で一〇四歳になる曽祖母がいて、六年前より同居しています。私が小さかった頃は、折り紙を一緒に折ったり、おままごとをしたり、良い遊び相手となってくれました。祖母の家へ行く時は、曽祖母と一緒に過ごすことも楽しみのひとつだったのを覚えています。最近「鶴を折って」と紙を渡しましたが、全く折ることができず悲しくなりました。

 現在はほとんど自分の身の回りのことはできず、私の祖母が全面的にお世話をしています。

 例えば食事については自分で食べることができず、全て口に運んであげています。私も介助したことがありましたが、これがなかなか難しく、口を開けるタイミング、のみこみカクニン、ひとくちってこのくらい? とたったひとつのプリンを食べてもらうのに、とても緊張しました。

 次に排泄(はいせつ)ですが、現在はトイレに行くことなく、オムツを使用しています。私は実際手伝ったことはありませんが、一日に何度もオムツ介助をしている祖母はこれが原因で腰を痛めてしまいました。

 生活全般にわたり、人の世話になるということは、本人にとって、嬉(うれ)しいことなのか辛いことなのか、それが後者であるということを感じたエピソードがあります。

 普段曽祖母は難聴のせいもあって、ほとんど話すことをしません。何か話すとしても、「はい」とか「いいえ」などの意思表示のみです。

 「ごはんですよ」「はい」

 「もう休みましょう」「はい」

 「疲れましたか?」「いいえ」など……。

 あるとき、祖母に頼まれて曽祖母の髪をとかしていました。いつも無表情の曽祖母が突然しわくちゃな手でぎゅっと私の手を握り、「ありがと、ごめんなさい。迷惑かけてごめんなさい」と涙がにじんだ目で私を見ていました。

 時々脳が鮮明(クリア)になることがあり、お世話になっている感謝の気持ちより申し訳なく思っている感情が勝っているようで、しきりに謝罪を訴えることがたまにあると祖母に聞きました。

 曽祖母は、明治生まれで、若い頃に夫に先立たれ、女手ひとつで祖母を含めた四姉妹を育てました。人をお世話することはあっても人に世話になることは少なかったと聞いています。

 自分の意に反し、思うようにならない体、プライドの高い曽祖母にとって介護されるということは、とても辛いこととも言えるのです。

 よく長寿であることに、

 「良いですね」

 「元気で何よりですね」

と曽祖母に世間は話し掛けますが、もう少し元気だった時分に苦笑いのような何とも言えない表情をしていたのを思い出します。

 私は、介護する側も普段祖母を見ていて重労働だと感じるし、精神的な負担も大きいと思っています。でも、それ以上に、曽祖母も辛く感じていることが日々あるように思います。いつまでも家族の中で過ごすことができ家族の元でお世話になっていることに喜びを感じている反面、人の世話にならなければ生きていけない辛さや、日常の身体の痛み、決して幸せではないということ。

 私は将来介護に携わることがあった時、喜びも悲しみを含めたその方の人生観、価値観を理解できるよう努力したいと思いました。