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開かずのとびら


白井 彩愛(10歳)神奈川県茅ヶ崎市・小学4年

 その病院には開かずのとびらがあった。

 昨年の夏にパパの病気がわかった。いろいろなけんさのために、パパとママは大学病院に通った。パパは骨ずいの病気でいしょくをしないといけなくて、毎回二時間かけてゆ血を受けながらいしょくのじゅんびを進めていた。私は話を聞きながら毎日ドキドキして過ごした。

 骨ずいいしょくを受けるには白血球の型が合う人をさがさなければならない。パパには兄弟が二人いる。先ず二人の血がパパと合うか調べた。ママの話だと兄弟でも二十五%しか合わなくて、兄弟で合わないとドナーバンクという所でさがしてもらわなくてはならない。合う人が見つからないとパパは死んでしまう。

 結果が出るまではとても長く感じた。三週間後、妹の陽ちゃんの血がパパと合っていしょくできることになったと決まった時にはママは泣いていた。私はビックリしてとてもよかったと思ったけれど、大好きな陽ちゃんも入院して血を取ると聞いて、また心配なことが増えた。

 十二月に一回目の入院。いしょくのじゃまになる大きくなってしまったひぞうを取る手術を受けた。パパの病室は十一階。エレベーターを降りてすぐにあるラウンジから先に私は入れない。とう明で先も全て見えているのに十二歳以下は入れないとびら。「どうして子どもは入っちゃいけないの?」。毎日お見舞いに行ってそう思った。お風呂にも毎日入っているし手も洗っている。かぜもひいていないしマスクもしている。機械なんて絶対にさわらないのにどうして? パパに会いたいのに。その時会えなかったのは四日間。パパが点てきをいっぱいつけて痛そうな顔で歩いて出てきてくれてやっとパパに会えた。うれしかった。

 二回目の入院は三月。いよいよいしょくのための入院。そしてまた開かずのとびら。いしょくをするには無菌室に入る。よくなるまでその部屋から出られない。陽ちゃんも入院した。骨ずいを抜いて大丈夫なのか心配だった。量は点てきパックの四分の一くらいだと聞いて「たったそれだけでパパが元気になるんだ」と思ったけれど、パパの体が陽ちゃんの血をてきだと思って戦ってしまったら大変だということも聞いて「戦わないで」と願った。

 パパと話せるのはけいたい電話だけ。前の入院の時はお手紙の交かんをしたけれど無菌室はそれもダメ。毎日ママにパパの写真をとってきてもらった。

 パパがカーテンから出られるようになったある日「今度から屋上駐車場に車をとめて」とパパにママが言われた。ママも何でかわからないけれど次の日は屋上にとめた。するとパパから電話があり、見るとパパの病室が見えてパパが手をふっていた。私はうれしくてうれしくてたまらなかった。それからは毎日車を屋上にとめて、帰りには小さく見えるパパを見ながら電話で話した。担当のかんごしさんと二人で手をふってくれる時もあった。開かずのとびらとたたかっていた私は、パパのアイデアでパパと会うことができるようになった。

 ママとばあばが交代でパパの病室に行っている間、私は宿題やお絵書きやゲームをしながら大きな窓から十二階からの景色を見て待った。遠くにはきれいな山や新幹線が見えるのに、すぐ下を救急車やドクターヘリが忙しく通っていた。水曜日には大学の音楽部のお姉さん達がかん者さんのためにラウンジで音楽会を開いている。私も参加して手話歌を覚えたりした。その時間だけは楽しかったけれどやっぱり開かずのとびらから入って行くママやばあばを見送るのはさみしかった。でも、帰りにはパパに会えると思うと前よりは待つのもいやでなくなっていた。四月、パパは四十日という早さで退院した。

 今パパは家で体力作りの毎日を過ごしている。私は今年の夏休みの終わりに肺炎にかかり初めて採血と点てきをけい験した。その時パパがどれだけ辛かったのかよくわかった。

 私がこわくて泣いたあの点てきをパパは毎日していたのだから。今は順調に治ってきているパパと毎日一緒にいられるけれど、二度とあの開かずのとびらの向こうへは行かないでほしいと思っている。