イベント・その他
健康・医療
新規ウィンドウでリンクします。

感謝


反町 規子(51歳)東京都北区・看護師

 「こっちの方はどうでしたか」と後ろから声をかけられ、誰だろうと振り返った。そこには、紙コップのお茶を持った院長がニコニコと立っていた。ついさっき、数時間の自宅への外出から病院に戻った父が、ベッドに横たわるのを見届け、ホッとラウンジに腰をおろした、まさにその時だった。「いやあ、玄関に入った時は、『さあ飲むぞ』と父も言っていたのですが、苦しくて実現しませんでした。」と、弟が答えるのを聞き、外出したら大好きなお酒を飲むという話を院長と交わしていたのだと、その時気付いた。

 「じゃあ又、今週末も予定しますか、酸素ボンベの量もわかったし。」と院長。なんだかまだまだ父の未来があるのではと、心が軽くなるひとときの会話だった。

 末期の胃癌の父がやっと安住の地にたどりつくまで、それは家族にも父にとっても、結構大変な道のりだった。

 2010年7月、77歳だった父が、貧血、食欲不振、胃痛のため、かかりつけの病院で内視鏡検査をすると、胃癌が見つかった。一人で検査を受けに行き、その場で告知され、内科から外科へ回され、翌月には手術をした。当初、胃を全摘すれば大丈夫という説明だったが、開腹すると腹膜に播種し、手の施しようがなかったという説明に私達は言葉を失った。

 これからが病との闘いの始まりだった。食事が摂れず20kg近くやせ、小さくなっていく父に胸が痛んだ。本人は回復を信じ、前向きに抗癌剤を飲み、副作用に苦しみながらも食事を口にし、家族との関わりを大切に自宅での日々を過ごしていた。

 そんな父も日を追い衰弱し、入院したいと訴え入院をするが、なす術のないことから退院を促された。要介護4と認定され、在宅介護という選択肢しか残されていなかった。ヘルパーさんに助けられ、なんとかベッド上での生活を2ケ月程するが、確実に癌細胞は父の身体をむしばんでいった。痛み、息苦しさ、身のおきどころのないだるさに、あの我慢強い父がギブアップという状況に追い込まれた。今更、入院を受け入れてくれる所もなかった。そんな時、たまたま目にした新聞の広告に、介護施設を見つけた。ダメでも仕方ないと、問い合わせてみると、受け入れに前向きに対応してくれた。病院も併設しているので何かあったら連携していきますとの言葉がありがたかった。そんな矢先、父の状態が悪化した。事情を施設の担当者に話すと、「院長が診察するので今すぐ来られますか」と、迅速に動いてくれた。急いで母と私で父をタクシーに乗せ、病院に倒れこむようにたどりつき、診察を待った。

 長身の一見、強面の院長が現れるのに数分もかからなかった。父の目を見て診察をし、お腹をさわり、聴診器をあて、てきぱきとレントゲン、CTの指示を出した院長は、柔和な顔でありのままの状態を私達に話してくれた。腹や胸に水がたまって苦しいということ。転移があること。そして父に優しく語りかけてくれた。「辛かったでしょう、入院しますか、楽にすることができますよ、期限もないですから、安心して療養して下さいね。」と。父は目に涙を浮かべ、「ありがとうございます」と言うのがやっとだった。私と母も落涙していた。

 それまでは、頑張らなくてはといつも気持ちがはりつめていた。厳しい状況にもみくちゃにされてきていたので、その優しい言葉が私達を魔法から解き放ってくれたような気がした。

 「食べたいものを食べていいですよ。外泊も計画しましょう。無理に食べなくても栄養が摂れるように太い点滴を入れましょう。」と院長の指示は的確に父の体力を回復させていった。頻回の入浴や着替えもたくさんのスタッフの手を介して行われた。会話も弾み父の表情も明るくなったのを見るのは本当にうれしかった。

 「本人の好きなようにしてあげましょうよ」という院長の方針は、優しい言葉であるが、反面、医療側では多くのスタッフの理解と協力を必要とすると思う。患者を想う気持ちが一致していてこそ実現することであり、頭が下がる。

 入院してから外泊もすることができ、外出もできた。酸素ボンベを持ち息子の車で自宅へ。「何かあったら救急車を呼んでね。」と見送ってもらい家族が待つ自宅へ。孫達とも時間を共有できたひとときは、神様からのプレゼントだと思わずにはいられない。院長との出会いがあったからこそ、父は納得のいく濃密な日々を過ごせたと思っている。お酒は飲めなかったが無事外出から戻って4日後、父は78歳の生涯を静かに閉じた。悲しくて、辛いが、どこか、充足感のある優しい穏やかな気持ちでこうしていられるのも、院長、スタッフの皆さんのおかげですと、感謝の気持ちでいっぱいです。