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遠回りな汽車ぽっぽー


瀬川 なつき(42歳)福岡県福岡市・飲食店パート

 それは、今から十五年前の話である。

 当時一歳になったばかりの息子は、ちょっとした検査で小児がんであることが分かり、大学病院の小児外科に入院することになった。一人では何も出来ない年齢なので、母親である私も付き添いという形で一緒に入院することになった。

 家族は突然、バラバラの生活を送ることになった。長女は当時小学四年生。その時は転居してきて間もない時期。内気な性格の長女は、転校することに不安を抱いていた。新しい学校で、少しずつ友達が増えてきたものの、まだ完全に慣れたとは言い切れない。本当は一番離れたくない時期だった。

 そんな心配をしながらも、息子の病気も一刻を争う。夫と長女は、自宅近くにある夫の実家で生活することになった。

 家族全員が不安な思いのまま、入院の日を迎える。家族で抱き合い、「頑張ろうね」と不安な思いを打ち消すように励ましあった。

 入院してからは、精密検査が繰り返される日々が続いた。採血や点滴で、息子の小さな腕の血管は潰れかけていた。とにかく、なるべく早く手術を行わなければならないため、外泊はもちろん出来ず、面会も限られた人だけ。風邪をひいただけでも手術は延期されるため、仕方がない。

 それでも手術となれば、何が起こるか分からない。何としてでも手術前に一度は、娘に弟の姿を見せておきたい。夫も同じ思いから、休みの日に娘を連れて面会に来た。しかし病棟のルールで、中学生以下の子供は病棟には入れない。病棟の廊下の先にあるエレベーターホールから、背伸びをしながら手を振る娘。私は息子を抱っこして、廊下の見える位置に立つ。こんなに近くにいるのに、とてつもなく遠い。家族揃って暮らす日は、本当にやってくるのだろうか。普通の家族なら、当たり前な毎日が、手の届かないところに行ってしまったような気がした。

 つらかった。切なかった。娘と息子、どちらのそばにもいてやりたいのに・・・。「体が二つあれば」と何度思ったことだろう。

 それから数日後に手術は無事に終わった。しかし、全ての腫瘍を取り除くことは出来ず、残っている部分は、抗がん剤の治療で様子を見ていくことになった。だいたい一カ月に一度のペースで、一週間かけて抗がん剤が投与される。投与されると白血球がどんどん減っていき、その値が1000を切ると、クリーンルームという個室に入ることになる。白血球の値が増えるまでは、ここで過ごす。

 術後、初めて娘が会いに来てくれた日が、そのクリーンルームに入るか入らないかのギリギリの時。採血の結果待ちだった。

 主治医からの知らせは、「クリーンルーム行き」という結果だった。娘と息子は、また顔を合わすことが出来ないのかと、がっかりした。

 部屋の移動は、ベッドごとまるまる看護師さんが動かしてくれる。息子はベッドの真ん中で、ちょこんと座っている。看護師さんは息子が不安にならないように、「汽車ぽっぽー、ぽっぽー」と笑顔でベッドを押して廊下を移動していく。娘が会いに来ていることを知った看護師さんは、明らかに遠回りな順路でベッドを押していく。廊下の向こうにいる娘から見えやすいところを、わざとゆっくり時間をかけて。娘は嬉しそうにベッドの中の弟の姿を見つめている。久しぶりの対面だった。私も本当に嬉しかった。

 その時の、その看護師さんの心遣いが、涙が出るほど有り難かった。入院している患者だけでなく、その家族に対する思いやりが、娘の心にも強く響いた出来事となったようだ。学校での作文にも、その時のことが記されている。

 一年半近くの抗がん剤治療を経て、息子は退院できることになった。その間、同じ病気で亡くなっていく子供達を、一体どれくらい見送ったことだろう。それは、言葉では言い表すことの出来ないつらい体験だった。

 命があること。健康であること。家族が一緒に暮らす、当たり前の生活。平穏な日々。

 あの経験をしなかったら、気付かなかっただろう。それが、どんなに幸せなことなのかということに。

 あれから十五年。

 息子は高校一年になった。小児がんだったことすら、時には疑いたくなるほど、元気に毎日を送っている。

 そして娘は今年三月、正看護師の試験に合格し、病院で働き始めている。あの時の看護師さんのように、患者家族にも思いやりの持てる看護師になりたいと・・・。