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生きていることの喜び


辻 洋子(45歳)東京都町田市・主婦

 「上の見本通り書けばいいのに、何で間違って書くの!?」

 漢字の宿題で急に変な字を書くようになった息子。そして私の言うことを聞かず、落ち着きのなくなった息子のカイトをその当時私は毎日こんなふうに怒っていました。「ちゃんとお母さんの話を聞いて!何度言えばわかるの?」私はいらだちと言いようのない不安からつい手を出して怒ったこともありました。

 それはカイトが小学校2年生の秋のことでした。それまでは幼稚園から始めたサッカーが大好きで、チームのみんなの先頭に立ち真面目に練習に取り組んでいた息子でした。負けず嫌いで何でも1番じゃないと気が済まない息子は、学校へも朝校門が開く前から待っていて、教室にはいつも1番に登校するのが日課でした。

 そのカイトが朝なかなか起きられなくなりました。3つ上の姉にも負けたくなくて九九もしっかり覚えていたのに、ある時から九九も必ず間違えるようになりました。そんなカイトの姿は私を混乱させ「私の育て方が悪いのだろうか、心の病気なんだろうか」とずっと自問自答していました。でもどうしていいかわからず、カイトを叱りながら解決の糸口を探して、私ももがいていました。

 12月に入ると、サッカーの練習ではいつも攻撃的で友達にぶつかっていっていたのが、怯えて見ているようになりました。

 そして1月に入り、上履きも履かずにふらふら歩いていると担任の先生から告げられ、そこに至って「これは脳の病気かもしれない…」と思い始めました。

 そしてそこから、息子はどんどん重い症状に入っていきました。トイレに行っても下着を脱ぐのを忘れて排便した時は、すでに予約をしていた検査も待っていられず、大学病院に緊急で受診し、即入院となりました。

 一ヶ月近くの検査の末、カイトはSSPEと診断されました。この病気は赤ちゃんの時に麻疹に罹った子(カイトは生後11ヶ月の時でした)が、その麻疹のウィルスが体のどこかに残っていて数年後に変異し、脳細胞を壊していく病気でした。深刻な病気の診断でしたが病名がわかった時はやっと出口が見つかったようで、なぜか気持ちが少しほっとしました。しかしそれはこれから襲ってくる病気との戦いの入り口でしかありませんでした。

 治療に希望を持って入院した新しい病院で、カイトの体は1日1日衰えていきました。昨日はサッカーボールを蹴れていたのに、今日は蹴ることができなくなっている、そして次の日はよろけて転ぶ、そして次の日は…というように坂を転がるようにどんどん悪くなって行きました。明日に希望を持ちたいけれど、明日が来るのが怖くてしかたありませんでした。入院して1ヶ月半位の間に、歩けなくなり食べられなくなり、そしてとうとう夜中に強い筋緊張が起こり「お・か・あ・さ・ん」と苦しそうに一言言うとそれっきりもう話すこともできなくなりました。

 高熱で寝たきりの状態になり、時々目を開けても瞬きもせず、眼球は上を向いたまま私を見ることはありませんでした。もうあの元気でがむしゃらにボールを追いかける息子はいない…と思うと、ベッドで寝ているカイトは別の子のようで、私は受け入れることができませんでした。

 カイトが入院していた病院には院内学級があり、入院した翌日から授業を受ける事ができていました。最初の頃は歩いて病院内にある教室に通っていましたが、具合が悪くベッドから起きられない時はベッドサイドで先生が授業をしてくれていました。病状が悪化していく中で、いつも元気な声で話しかけて下さる先生方の優しさで、授業中は私もほっと心が安らぎました。

 カイトが寝たきりの状態になり、私は『もうこの子は何もできない子なんだ』と思っていた時、授業にいらした先生がカイトに何かを尋ね、そして「あー、今カイト君、目をぱちぱちっとして答えてくれたね。」「あっ、今度は口をもぐってして答えてくれたんだね」とカイトに話しかけてくれたのでした。その言葉を聞いて、私ははっとしました。『そうなんだ、この子は生きてるんだ。そして今も一生懸命病気と戦っている…。あの負けず嫌いのカイトなんだ。ちゃんとこの子は頑張っているのに、どうして私は勝手に諦めているのだろう』と。

 先生のあの時の言葉は、病気の息子を受け入れ、息子と一緒に前向きに生きていこうと思うきっかけとなりました。どんな重い障がいを持った子でも、先生方が一人の人格を持った子どもとして接して下さったことに、本当に感謝しています。

 あれから4年たち、特別支援学校に通う今でも、息子は「学校」から生きる力を学んでいます。そして私は、息子が生きている喜びと幸せをずっと教えていただいています。