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加藤 裕子(18歳)茨城県取手市・高校3年

 中学一年生の冬。自分の目の前のレントゲン写真と初めて聞く病名に私は言葉を失った。レントゲンに写しだされた自分の背骨は明らかに形がおかしくS字に曲がっている。診断された病名は「突発性側湾症」。脊柱が側方へ湾曲かつ回旋した形になる病気だ。原因はまだ解明されていない。どうして私がそんな病気に?帰りの車の中、私と母は無言になった。

 初診から何日か後コルセットをつくった。装着によって湾曲の進行を防ぐ目的だ。できあがってから、入浴と寝る時以外は毎日学校へもつけていった。骨盤の辺りから脇の下までの大きさのプラスチックと金属でできたコルセットは、私の体のいろいろなところを圧迫し痣(あざ)をつくったが治るためだと思って我慢した。病気のこと、コルセットのことは他の人に知られるのが嫌で仲の良い何人かにしか話せなかった。つらいことも多かったけれど毎日装着した。治ると信じていたから。

 コルセットにも慣れ、私は高校生になった。それまでに何度か診察はありコルセットをつける時間を少なくしても良いと言われた私は中学生の時ほど必死につけなくなった。発生時から今まで背中や腰に痛みを感じたことはなかった。きっとだんだん良くなってきたんだ、そう思っていた。

 高校一年生の夏、久しぶりの定期診断で私は再び中学一年生の時と同じショックを受けた。レントゲンをみると以前よりS字が悪化している。医師によるとねじれもひどくなっているらしい。手術をすることを勧められた。そのまま悪化すると外見の問題だけでなく肺機能低下など様々な危険があった。一番初め病院へ行くきっかけとなったのは右の肩甲骨が異様に出っ張っていたからだったのだが、確かに言われてみれば外見からも病気が進行しているのがわかる気がした。家に帰って涙が出てきた。どうして今まで通りコルセットをつけなかったのだろう。どうしてこんな訳のわからない病気になってしまったのだろう。これまでの三年間は何だったのだろう…。

 高校一年生のクラスはみんな仲が良く、自分の病気のことも中学の時ほど抵抗はなかったため自分から話をした。冬休み前から学校を休んで手術することになったことも。手術は湾曲を治し脊椎にボルトを埋め込み固定する手術だ。術後は少なくとも半年間運動や腰の負担になることは一切禁止である。それを知った仲の良い男女合わせて15人の友達が私のためにいろいろな計画を立ててくれていたことをこの時はまだ知らなかった。

 手術を数週間後に控えたある日、私は友達に誘われるがままにある場所へ。市の体育館だった。これからしばらく運動ができなくなる私のためにみんなが貸し切ってくれたのだった。驚いたけれどすぐに嬉し涙があふれた。その日は一日みんなでスポーツを楽しんだ。

 そして私にとって年内最後の登校となる日の放課後、「開けてみて」と少し大きめの袋を友達に渡された。びっくりした。中に入っていたのは色とりどりの千羽鶴とクラスみんなからの寄せ書きが書かれた色紙だった。涙がとまらなかった。なんて良いクラスに、友達に恵まれたんだろうと思った。手術がどんなにつらくても乗り越えられると思った。

 そうして私は手術を受けた。初めてのことばかりで不安だった私に優しく笑顔で接してくれた、医師をはじめとするたくさんの医療従事者の方々。そんな方々のおかげで私は安心し、医師や看護師を信頼してリハビリに取り組むことができた。時にはつらい気分が紛れるようにと友達であるかのように接してくれたこともあった。自分で起きあがれるまでに術後から三日かかった私だったが、その後は医師がびっくりするほどの回復力だったようだ。なんとかギリギリで年内に退院することができた。

 今、振り返ってみると私は本当に多くの人に支えられてきたんだと改めて思う。一番負担をかけさせてしまったのは両親だ。手術を受けさせてくれて、毎日毎日遠くまでお見舞いに来てくれて、本当にありがとう。次に周りの友達。話を聞いてくれて、学校生活を支えてくれて、本当にありがとう。そして病院の先生方、本当にありがとうございました。もうすぐ術後三年になるがもう一度感謝の気持ちを伝えたいと思う。

 高校三年生、受験生になった。私は自分の病気の体験などを生かし将来、患者様の気持ちを一番よく理解できる信頼された看護師になりたいと考えている。今度は私が誰かを支えられるように。誰かに、心から「ありがとう」と言ってもらえるような存在になるために。