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<一般の部> アフラック賞
「笑顔が一番」


西川 敦子(富山・公務員)

 娘は今、ある地方大学に通い、医療従事者を目指して奮闘中である。二十年前の私には、今の娘の姿など、想像することもできなかった。

 娘は二歳の時、突然、顔面麻痺になった。

 いとことおもちゃの取り合いになり泣き出したが、左目の周りが突っ張ったまま一向に動かない。何かおかしい。初めは、娘がわざとそんな顔をして見せているのかと思っていた。しかし、その表情は、娘が泣き疲れて眠りにつくまでそのままだった。

 次の日の朝も娘の表情はそのままだった。仕事を休み、すぐに病院へ連れて行った。

「顔面麻痺です。」

 担当された先生が静かにおっしゃった。そのまま入院することに決まった。病室に案内され、点滴をつながれた娘は、家に帰られないことを察して笑わなくなった。娘だけではない。私も笑うことができなくなった。

「顔面麻痺って、何が原因なの?」

「精神的なことが原因なんじゃないの?」

「お母さんが忙しすぎて、さびしかったんじゃないの?しばらく休んで付き添えば。」

 周囲の人が心配していろいろ言葉を掛けてくれたが、その一つ一つが私の心に重く響いた。原因が分からない。そのもどかしさが一層私を苦しめた。

 だんだん自分が悪いのではないかと思うようになった。仕事中心の生活で、朝早くから夕方遅くまで娘を保育園に預けていた。そんな状況だったから。娘は、この入院でしばらく保育園を休むことになった。私自身、介護休暇を取り仕事を休もうかとも考えた。そんな時、義母が付き添いを申し出てくれ、私が仕事に行っている間はずっと娘のそばにいてくれることになった。

 入院当初、娘は泣いてばかりいて笑顔を見せなかった。そんな娘をおいて仕事に行っても、集中できなかった。今、娘はどうしているのだろう。今日はどんな治療を受けているのだろうか。心配でならなかった。

 ある日、仕事を終えて病院に行くと、娘の病室から笑い声が聞こえてきた。娘がきゃっきゃっと声を立てて笑っている。どうしたことかと義母に尋ねると、

「数日前から顔面のリハビリテーションが始まったのよ。リハビリテーション室のM先生がユーモアたっぷりでねえ。」

 今思い返せば、M先生は理学療法士の先生だった。M先生は、緊張している娘に常に笑顔で接し、優しく声を掛けながらリハビリを進めていかれた。娘はだんだんリハビリテーション室に行くのを楽しみにするようになった。付き添ってくれている義母もまた、M先生の人柄に惹かれていったようであった。私も娘の変化に安心して仕事に向かえるようになった。

 そして、心にちょっぴり余裕が出てきたとき、私は気付いた。娘にかかわってくださっている先生、看護師さん、理学療法士さん全ての人が笑顔だと。

 病院は、過酷な現場である。様々な患者さんに対してベストの対応を求められる。命を預かる責任も重い。それなのに、そこで働く人は皆、患者さんの前では笑顔なのだった。

「おだいじに。」 

 娘は一か月後、たくさんの笑顔に見送られ、退院した。しばらくリハビリのため通院したが、病院に通うのを楽しみにしていた。

 娘の顔面麻痺が完治したのは、優れた医療もさることながら、病院の皆さんの笑顔が心の特効薬となったのだと思う。

 娘に当時のことを尋ねても記憶は曖昧である。しかし今、彼女が医療従事者を目指しているのは、きっと心の中にあの時のたくさんの笑顔が思い出として残っているからだと思っている。