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<一般の部> 入選
「当たり前が幸せ」


見田 美穂(宮城・主婦)

学校関係者の皆様へ

 この度、息子YがY小学校へ入学することになりました。生後まもなく、先天性胆道閉鎖症と診断され、以来今日まで何度も入退院を繰り返してきました。息子はいつの日か、肝臓移植への道を辿ります。それは幼少期か大人になってからなのか、現段階では見当もつきません。今後のことを考えると心配の種は尽きませんが、一日一日を大切に過ごしていきたいと思っております。一見、難病を抱えた子どもには見えません。外で遊ぶことが大好きで、とても元気です。しかし、病気のために制限しないといけないことがあります。詳しくは、同封させていただきました。これから何かとご面倒をおかけしますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

 幼稚園の卒園前、小学校入学にあたり、自主的に事前に学校へ書類を提出した。

 この四年後に、息子は生体肝移植手術を受けることとなる。

 小学四年生冬。

 腸閉塞で手術をしてから、肝機能の数値が下がらなくなってしまった。

 主治医の先生のお話を聞きながら、移植を考える時期に入ったのだと感じた。移植科の先生を紹介していただき、話を伺うことになった。息子の血液型はB型。夫がABで、私がA。ABO式で血液型不適合の移植となる。赤ちゃんなら不適合でも適応しやすいとのことだが、十歳という年齢では通常の肝移植よりもリスクが高くなる。手術をしたことによって、息子を失うかもしれない。簡単には決めることができなかった。

 しかし日本では、倫理的な問題から脳死の臓器移植が海外に比べてかなり消極的だ。脳死移植者リストに登録をしても、順番が回ってくるのは、宝くじを当てるようなものらしい。そう言う私自身も、子どもがこの病気で生まれてきて初めてドナーカードを所持したくらいなので、意識レベルの問題もあると思う。

 このまま肝不全の道を辿るのを黙って見ていられるのか、苦渋の決断だった。

 父母として、生体肝移植を選択する。

 身体的に私がドナーになることが決まり、仕事を辞める旨を上司に伝えた一時間後、東日本大震災が発生した。

 私達の住んでいる地域は震度6強。友人のご家族、知り合いが沢山亡くなった。食料、燃料、物資が簡単に手に入らなくなってしまった。手術のことは白紙に戻ったと思った。大勢の方が亡くなられ、薬剤なども不足している中で、自分の子どもを助けてほしいと声を大にして言える状況ではない。現にICUは震災で被災された方で満床だった。

 とはいえ病気の進行は止まらない。体内で出血していて下血しているのだ。

 沢山葛藤はあったが、状況を見守りつつ、病院にお任せすることにした。

 医療現場が落ち着いた八月に手術することになった。

 生まれてから六回目の手術だったが、いつもと違うことがわかっていて、入院してから手術日までは笑って過ごしていたのに、手術室の入り口で沢山のスタッフの方に出迎えられると、息子がポロポロと涙を流し始めた。

 「大丈夫だから。お母さんも一緒だから。」麻酔で眠りに落ちるまで、ずっと手を握っていた。

 次に私が隣の手術室に行く。術前に、家族や友人から、手術怖くないのかと聞かれたが、不思議なことに、恐怖心の欠片もなかった。自分のおなかや太股にメスを入れることなど、どうでもよかった。心臓をあげてもよいと思える心境だった。親子というものはそういうものではないだろうか。

 術後は順調ではなかった。強い拒絶反応や合併症で、二週間に三回開腹手術を受けた。

 平成二十四年八月。

 移植手術からちょうど一年。真っ黒に日焼けして、毎日朝から夕方まで遊び通している息子がいた。

「人生初だね。」

と息子が笑う。それまで夏はたいてい入院していたから。当たり前の日常が、一番幸せなことなのだと思う。

 睡眠時間を削って夜中も治療して下さった先生方、医療スタッフの皆様には、本当に感謝している。沢山の方々に支えていただき、今日がある。

 数え切れないありがとうを胸に、今日も息子を送り出す。