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<一般の部> 日本医師会賞
「輝いた6日間のいのち」


五十嵐 桃子(神奈川)

 出産予定日を10日過ぎた平成25年5月21日我が家の長女〝心遥(こはる)〟は、1828gの小さな身体で元気な産声をあげ、産まれてきてくれました。「やっと会えたね、心遥。ママだよ。」

 私は産まれたばかりの我が子を抱きしめ、夢にまで見た幸せな時間をかみしめていました。そして遠方から駆けつけてくれた家族の皆と、写真やビデオを沢山撮り、娘の誕生を喜びあいました。

 今思えばこれが心遥と過ごす日々の始まりであり、同時に「看取り」の始まりでもありました。

 娘は出生前診断により、18トリソミーという染色体異常があり、心臓をはじめとし多臓器にわたって重篤な疾患があることがわかりました。多くの赤ちゃんがお腹の中で亡くなってしまうと言われましたが、私達は娘が生きて生まれてきてくれる数%に望みをかけて担当医とも何度も相談を重ねながらこの日を迎えていました。そして、もし娘が元気にうまれてくることが出来たら、娘のありのままの生命力を信じて、短いかもしれない人生、本人が痛く辛い思いをするような治療はしないでおこう、そして家族で過ごす時間を大切にしようと決めていました。

 しかし、やっと会えた我が子を目の前にしてみると、何とかして助けてあげたいという想いが強くなり、私の心の中は揺れていました。生後2日目に娘の容体が急変した時には、多少痛いことや苦しいことがあってもいいから、何でもいいからして欲しい!と泣きながら医師にお願いしていました。でも医師はとても冷静に「今の心遥ちゃんに治療をしたら本人も辛いし、薬でずっと眠らせておくことになる。心遥ちゃんがパパとママと幸せに過ごせる方法を一緒に探そう。」と言って、NICUの隣にあるファミリールームを用意して下さいました。そして、その部屋で家族の時間を過ごさせてもらう中で、娘にとっての幸せは何か?という事を私達の気持ちに寄り添いながら一緒に考えて下さいました。

「人は皆高い所を目指して一番いい景色を見たいと思う。けれど心遥ちゃんの人生はそういう人生じゃないかもしれない。でも高い所に行かなくたって今いる場所や道の途中で綺麗なお花が咲いていて、すごくいい景色を見る事が出来て〝あぁ良かったな。〟って思えるような、そんな人生の素晴らしさもあると思う。」ある医師は私にこう話して下さいました。この言葉に出会った事で、私はやっと自分のエゴを捨て「心遥にとって幸せな時間を過ごしていきたい。」と心の底から想えるようになりました。

 私達は病院の協力により母子同室で過ごさせてもらい、出来るだけ娘の側にいようと決めました。環境の整ったNICUから出る事は不安でしたが、モニター等を外した状態で自由にできる抱っこや添い寝がとても嬉しく、娘もとても幸せそうな表情で、私達の事をよく見つめていました。記念の手形足形もとり母乳を入れたお風呂で沐浴をさせてあげる事も出来ました。夢のような時間でした。悲しみももちろんあるけれど、その一瞬一瞬が全て幸せで、私達のもとにうまれて来てくれて有難うという想いで何度も涙が溢れました。

 もし娘が命を長らえる為だけに管理されている状況であったなら、決して見ることが出来なかった表情や仕草、そしてぬくもりを沢山感じる事が出来ました。限られた時間をこのように過ごせたのは、全て病院とスタッフの理解、連携のおかげでした。

 娘は何度も危険な状態になりながらも、私の胸の中で呼吸を取り戻していました。最期が近づいているという事は、私にも少しずつわかっていました。でもその頃には、NICUのベッドに戻そうとは思わなくなっていました。最期までここにいたいと、娘も思っているのを感じていました。

 そして、家族3人で初めて川の字で眠った日の朝、私たちの間で気持ち良さそうにすやすやと眠っていた心遥は、安らかに天使になりました。6日間の生涯でした。

「心遥、ありがとう。おやすみ」

 私達は涙を流しながらも、温かい気持ちでいっぱいでした。そして短い時間ではあったけれど、心遥がいい人達に沢山出会い、沢山可愛がってもらえた事、家族で幸せな時間を過ごすことが出来た事に感謝の気持ちでいっぱいでした。娘の与えられた命を、最大限に輝やかせて頂いたと思います。

 私達にとっての医療は、最新の機械でも手術でもない、娘のありのままの姿、生命力を皆で見守った時間でした。そしてその時間に関わって下さった全ての医療者の、医療を超えた〝想い〟の力が、娘だけでなく私達家族の事も支えて下さいました。我が子を看取るという悲しい経験ではありましたが後悔はありません。病院で過ごしたかけがえのない6日間の思い出を宝物として、これからも生きていきたいと思っています。