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<一般の部> 厚生労働大臣賞
「軌跡」


成沢 ももえ(千葉県)

 春には出産と聞き、主人の喜びようは今思い出しても可笑(おか)しいくらい。だって、仕事を休んでまでどこから買ってきたのか、団地サイズの鯉のぼりを早々とベランダに揚げてしまったわ。舅に「あのバカ、まだ男と決まったわけじゃないのに。本当に困ったものだ」と私に言われても、その場を繕うのに何で苦労しなきゃならないの。

 でもね、分かるような気がする。あの人と一緒になるとき、私が不妊症だってこと承知で一緒になってくれたんだもの。それが、密かに病院に通い「まさか」の妊娠だったから、驚き以上だったのね。舅もそう言ったけど、青い三輪車を買ってきたのはお父さんよ。

 希望が叶い念願の男の子が生まれても、その日から主人は仕事もしないでお酒ばかり飲んでいる。舅にいくら注意されても、まるで抜け殻のようにその目は遥か遠くばかり見ている。生まれた子供は、3か月経っても私たちは一度も抱いていない。

 先天性の難病で、たった3か月の間にもう4度も手術を重ねた。回復は絶望的で、仮に助かっても多くの障害が残るという。我が子をガラス越しに見るたび、主人は静かに涙を流す。せめて自分の腕で我が子を抱きたいとの願いは、なかなか果たされずにいた。

 半年経ってすっかり諦めていた私たちに、主人と同じ年の医師が着任した。どうしても手術をしたいと言い張る医師、頑なに拒む主人を説き伏せたのは、他ならぬ舅だった。「俺の命をやるから、孫に手術を受けさせてやれ。やれるところまでやらなければ、後悔する」主人はそれでも「子どもがこれ以上切り刻まれるのは我慢できない」と言っては泣いた。

 私の独断で最後の手術が終わり、神様に願いが届いたのか「未来」と名付けた子どもは、しぶとく生き残った。舅は予言通り、未来の手術後まもなく急逝した。

 「未来、ご飯の支度するわよ」と声をかける。するとちょうど匍匐(ほふく)前進のように、奥の部屋から擦り出てくる。あまりの早さに驚きながら、小さな籠を口にくわえさせてやる。そうすると床の上に広げたナプキンに置いた塩やコショウを籠に入れ、座卓に並べている。そう、未来は足が動かないのだ。

 しかし、ここまで来るのにどれほどの時間がかかったのだろう。とにかく、足が動かないことを本人が認識しないのである。本能から、何度も机や障子に手をついて立ち上がろうとする。膝といわず顔といわず体中にアザができても、懸命に立ち上がろうとする。

 医師と相談しても「普通、足が麻痺していると立とうとしないのですが」と首を傾げて、何とも不思議な時間をいつも過ごしていた。そこで、ご飯の用意を一緒にすることを思い付いた。自分自身の障害をしっかりと認識するためだ。

 私たち一家は、未来の治療に有効だとする病院を訪ね歩いた。西に東に転居をし、家を変え仕事も捨て、ただひたすら未来を中心に動いてきた。それは、未来の本能が示す立ち上がる力を信じたためである。何とか、自立の道を模索していた。

 そのためには、未来自身が何でも興味を持てる環境を作り出すことが第一だった。未来の手術を成功させた医師の転勤に合わせ、私たちも勤務する病院の近くに転居した。この医師だけが「もしかしたら」と、希望を持てる話をしてくれていたからだ。

 転居から1年、それは突然の出来事だった。いつものように、診察を終え、私が飲み物を買いに待合室を出ようとすると「お母さん」と言いながら、何と未来が立ち上がって数歩歩いたのだ。このときの驚きは、私のみならず診察中の医師までが廊下に飛び出すほどだった。

 未来は私を追って、自らの足で歩いたのである。その後、未来はクラッチという松葉杖で歩けるようになった。十数回に及ぶ手術に負けず、しっかりと歩んでいる。

 私が未来に言っている言葉は、今も昔も変わらない。「胸を張れ、そしてしっかりと大地に足をつけろ」

 もう、朝から男どもは何を騒いでいるのかしら。まったく、休日くらいゆっくり寝かして欲しいわ。それでなくても男たちの後片付けで寝不足なのに。

 未来、いいのよ。ご飯の用意なら慌てなくていいからね。未来は本当によく働いてくれる。夕べの洗い物まだだってことを知って、未来が台所に立ってくれたのね。

 私は、未来が11歳のとき奇跡が起きたの。何と双子の男の子を産んだのよ。未来に哀願され、子宮がん手術のため3分の1を切除してできた子どもたちだから、私自身今でも信じられないくらい。

 「お父さん、自由、希望。少しは兄ちゃんのお手伝いしてよ」