イベント・その他
健康・医療
新規ウィンドウでリンクします。

<一般の部> 優秀賞
「笑顔の枕」


永田 育生(大阪府)

 妻を介護して8年になります。2006年7月、クモ膜下出血を発症し1年間入院し、翌年9月より、在宅介護となりました。要介護度4です。一命を取り留めたこと、歩行器に助けられ歩けたこと等、様々な方の関わりに感謝しております。この話は、息子の結婚式に妻が出ることを躊躇した私の背中を押してくれた看護師さんへの感謝の思いです。入院から2か月が過ぎ、9月23日の息子の結婚式が迫ってきました。ベッドで寝返りも打てない妻に式の話をすることを迷っていました。しかし息子は母親の現状を改善する切っ掛けにならないか? そして苦労をかけた母にぜひ見てほしいとの思いから、「ぜひ出席してほしい!」と妻に訴えました。その気持ちに応え妻は私に「出席できる?」と一言。早速医師に伝えると「車椅子への移乗と体幹の保持が出来ること、ご主人は胃瘻による水分補給と痰吸引をマスターする必要がある」とのことでした。さあ!訓練の開始です。

 妻はベッドからの移乗訓練、私は胃瘻からの給水と吸引器の取り扱い訓練です。必死で頑張る妻、吸引器の取り扱いに苦闘する私。PTさん、看護師さんの熱心な指導により、何とか間に合いました。さらに当日の車椅子について看護師のKさんから、長時間の座位での車椅子は妻にとって苦痛なので「介護用フルリクライニング車椅子で極力横になり、肝心なとき座って乗り切りましょう! そして、式と披露宴両方ではなく、会場の広い披露宴に、新郎の母として参加する方向で体力を付けませんか?」とのアドバイスでした。数着のドレスを病室まで運び、妻がドレスを選び、私が下着を買いに走り準備完了。

 結婚式当日、私は式を中座し病院へ急行、Kさんの手助けで妻の着替えをし、披露宴会場へ出発しようとしたその時、Kさんが私に手渡してくれた物がありました。黒い布で作られた枕でした。背もたれを起こし過ぎると疲れが増し、緩めると目線が天井を向いて、晴れがましい場で妻が可哀想と、少し頭を支え目線を真っすぐに向けるために作ってくれた枕です。こまやかな気遣いの目立たない枕で、妻の笑顔が一層映えます。90分ほどの披露宴への出席、親族のあいさつ、記念写真と妻はいつの間にか主役になっていました。気丈に役目を果たし、皆に励まされ、笑顔で答え、病院へ帰る車内で、妻は疲れと安堵のため、爆睡!「お疲れ様!」。病院の玄関で到着を待っていた、Kさんを見掛けた時、ほっと、救われた気持ちがしました。

 少し妻を紹介します。妻は茗荷谷生まれの箱入り江戸っ子です。結婚直後の福島県転勤は大変でした。現場監督の私は勤務地が転々とし家の事はまかせっきり。やっと東京勤務となり、埼玉に居を構えたら、今度は大阪へ突然の転勤。そして、よくある転校生の息子への担任の無理解も含めたイジメがあり、「あなたに話すとややこしいから黙っていた!」と妻が体当たりで解決したようです。その後、子供の手が離れると、仕事好きな妻は早速勤め、15年近く働いていました。病に倒れた時、勤め先だったデパートの同僚や若い社員から心配するメールが届いて、返信を何通もした記憶があります。結構人生相談に乗る【面倒見のいいおばちゃん】だったようです。

 在宅になってから経過確認のため年2回CT撮影と受診に病院へ行きます。今年2月に検査担当(志願されたようです)だったKさんに再会。廊下で抱き合い「歩けるようになったのね!奇跡のようだわ!」と、Kさん大興奮。病院を転々とし、寝たきりからの復活劇をお話しし、元気な姿を見ていただき、当時の気遣いに夫婦でお礼を言うことが出来ました。

 在宅介護も板につき、今年で妻59歳、私64歳、老々介護の入り口に差し掛かっています。現在の明るい介護は妻の元気があればこそ、その原動力はリハビリとちょっぴり主婦業を続けていることと思います。妻の【ヤル気】を保つため、旅を仕掛けました。国内旅行は勿論、今年2月、サポートを娘に頼み、初の一般のツアーで海外旅行に行きました!

 人生半ばにして、不幸にも介護状態になった妻ですが、Kさんをはじめ様々な方の関わりと励まし、リハビリ施設のサポートにより、在宅介護開始翌年には、ヘルパーさんと夕食の支度をし、主婦に返り咲きました。そんな頑張り屋さんの妻に正面から向き合い、見守り、少し手助けをする。そして夫婦で旅行を楽しむ(海外は少々大変です)機会を得た私は、ある意味幸せです。今後も様々な人との関わりで、妻をしっかりサポートし、二人三脚でもっと海外旅行に、体力の許す限りチャレンジしたいと思います。