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<一般の部> 優秀賞
「二人で一人」


小林 郁子(広島県)

 「その時が来るまで一緒に頑張りましょうね。絶対にその日は来ますから」

 娘は一昨年、O大学病院のO先生執刀の下、脳死両肺移植の手術を受けました。

 6年前、娘に重い肺の病気が見つかりました。「この病気はいずれ肺移植しか治療法はない」と言われ、その日のうちに移植についてのカウンセリングを受けて帰りました。深刻な内容ではありましたが、当時は重い自覚症状が出ているわけではなく、家族の誰もが移植なんて何年も先のことだろう、と漠然と過ごしていました。

 ところがその後、娘は慢性呼吸不全に陥りました。そして、いつ何時も酸素ボンベが離せない生活――在宅酸素療法――の日々が始まったのです。多くの制約を受ける毎日でしたが、娘は前を向いて一日一日を過ごしていました。

 数か月後、症状は急速に悪化していき、地元で診ていただいている先生の付き添いでO大学病院へ転院することになりました。その時最初に部屋に来てくださったのが、O先生でした。

 娘のベッドのそばで、今の状態がとても深刻なこと、検査をして臓器移植ネットワークに登録すること等を丁寧に説明してくださいました。先生の言葉は、不安の始まりであり、希望の始まりでもありました。

 登録完了の通知が届いた日、O先生から「いよいよ今日から待機ですよ。良い状態を保って頑張りましょうね」と励ましていただきました。

 しかし治療を繰り返していただいたにもかかわらず、娘の症状は改善されるどころか悪化する一方でした。そうした日々も、O先生、コーディネーターの方が励まし続けてくださいました。その言葉に、私たち家族はどれだけ助けられたことでしょう。

 その日、娘は朝から最悪のコンディションでした。――もう元気で家に帰れない――と涙で食事もとれないほどでした。

 私は心の中で泣きながら、それでも笑顔で娘を車椅子に乗せて部屋から連れ出しました。病棟の廊下を何周もしたり、外の景色をしばらく眺めたりしましたが、部屋に戻るとまた落ち込んで涙が出てしまいます。

 そんなところに、O先生とコーディネーターの方が来室されたのです。

 いつもの回診と思い、

「もう…限界です」と娘の様子を伝えました。

「かえましょう」という先生の言葉に、

「はい……」と二人沈んだ声で返しました。私も娘の機械の交換だと思ったのです。

 ところが、先生の口から出たのは、

「今、ネットワークから連絡がきましたよ。新しい肺にかえましょう」

 はじめは二人とも信じられませんでした。先生の細かい説明を聞いているうちに本当なんだと思えてきて、病室であることを忘れ、娘と声を上げて泣いてしまいました。

 今まではせきやくしゃみはもちろん、大声で笑うこともできない状態が続いていました。

「明日には新しい肺にかわるから、今日は思いっきり笑っていいからね」

 私たちは、肺からチューブでつながる機械がブクブク音をたてるのもかまわず、思いっきりしゃべり続けました。

 次の日、12時間もの長い手術に耐え、手術は無事成功しました。

「今まで27年間、よく頑張ってこられたと思います」

 先生の手のひらにある取り出された肺は、今日まで必死に娘の命をつないでくれていたのです。その健気な姿が娘と重なり、いとしくて涙が止まりませんでした。

 その後のつらいリハビリも乗り越え、退院後は再び、地元の先生に診ていただくことになりました。

「おめでとう。きれいに入っていますね」

と握手で感動を伝えてくださった先生の笑顔が今も思い出されます。

 先日、移植後2年を迎えました。時にはアクシデントもありましたが、

「もう二度といただける肺はないと思うので、この肺を潰すわけにはいきません。何かあった時には最善を尽くします」

と言われた先生の言葉はとても心強いもので今では安心して日々を過ごしています。

 娘は多くの方々のご理解とご尽力によって新しい命をいただき、今また社会の一員として働いています。しんどいことや苦しいこともあるはずです。でも娘は言います。

「私は一人じゃない。ここにもう一人いる。だから頑張れる」

 これからもドナーの方に恥じることのないよう、一生懸命生きていってくれることでしょう。

 本当にありがとうございました。

 O先生からのメッセージが心に響きます。

――人生楽しんでいますか――