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【一般の部】<入選>
「わたしは神様じゃない!」


岡野 園子(東京都)

 宝くじは勿論(もちろん)、懸賞にすら当たったことがありません。1000人に1人というような確率の数字がまさか自分の身に起こるとは思いもせずに、その日も検診に出かけたのです。長男の出産・妊娠も割とスムーズだったので、今回もまた可愛(かわい)くて元気な赤ちゃんが生まれてくると信じて疑いませんでした。

 手足を元気よくばたつかせる赤ちゃんのエコー画像に、我々夫婦は小さな歓声をあげました。でも私たちとは対照的な表情だったお医者様に告げられたのは、無脳症。頭が真っ白でお医者様の言葉を反芻(はんすう)して飲み込むのがやっとでした。後頭部の骨が形成されておらず、既に脳が外に出ていること、出産できたとしても確実に死んでしまうこと、母体を守るためにも今のうちに堕胎するのが妥当なことと、かろうじて聞きとって、堕胎手術の紙にサインをしました。

 ところが帰宅すると一転、俄然(がぜん)、目が冴(さ)え、インターネットで無脳症を調べ続けるようになりました。堕胎を認めない宗教下では出産する女性もいる、葉酸の初期摂取で防げる可能性があったかもしれない……、憑(と)りつかれたように調べ、数々の情報を得るうちに、私の中に一つの結論が浮かんできたのです。

 「私が赤ちゃんを殺した。すべて私のせいだ」

 葉酸の知識もなく、こうなっても自分を守ることを優先して、私は、私のせいで死ぬ赤ちゃんを一度も抱いてやろうともしない。私が殺した、私が不幸な運命を赤ちゃんにもたらしたのだ。そうとしか思えなくなりました。

 思い詰める私に、夫は「手術は僕の選択でもあるからね」と言いました。ですが、当時の私の頭の中では「私が殺した」という言葉がめぐっており、誰かの言葉を冷静に聞ける状態ではありませんでした。手術を終えて、病院のベッドで目を覚ましたときの第一声も「私が赤ちゃんを殺した……」でした。

 小さなお葬式を済ませてもなお虚(うつ)ろな表情の私を見て、夫が長男の出産時にお世話になった産院に行くことを提案しました。昔からある小さな産院です。今回は場所の関係で異なる病院を選びましたが、細やかに話を聞いてくれる温かさが、なんとなく我々夫婦の心には残っていました。

 もう妊娠もしていない、検診でもないのに受診していいものか、躊躇(ためら)いましたが、受付で事情を話し、無脳症についてきちんと知りたいと言うと小さな部屋に通されました。院長先生が来るまでの間、若い助産師さんがそっと両手で私の手を包み込んでくれました。

 院長先生に絞り出すようにこの数か月の苦しみを話すと、院長先生は詳しく医学的な説明をしてくださったあと、余談のようにこんな話を始めました。

 「僕はね、職業柄たくさんの命が誕生するのを見てきた。同じくらい、生まれることができなかった命も見てきたよ。何年前だったか、双子を妊娠したお母さんがいてね、1人は元気な赤ちゃんとしてこの世に生まれた。でももう1人は無脳症で、生まれる前に死んでしまった。同じ母親、同じ環境、同じ遺伝子なのに、かたや元気に生まれ、かたや産声もあげられない。僕は無神論者だが、生まれたり死んだりというのは、もう我々の領域を超えた何かがあるのかもしれないと思ってしまった。よく世間で言われるところの『神の領域』といったものがね」

 それから私の目をしっかりと見つめ、教え諭すように厳しい口調で続けたのです。

 「それなのにあなたは自分のせいだと言う。自分がすべて悪くて赤ちゃんは死んだと言う。あなたが赤ちゃんの運命を決めたと言う。あなたは……随分と傲慢な人だね」

 ピシャリ、と?を平手打ちされたような衝撃でした。その場で声をあげて泣きじゃくってしまいました。ひとしきり大声をあげて泣き終えて顔を上げると、不思議と静かな気持ちでした。「私は神様ではない」。当たり前のことがスッと心に入ってきました。帰り際、院長先生が「赤ちゃんがあなたのところに来た意味がきっとあるよ。それをこれから見つけていきなさい」とおっしゃいました。手術以来、赤ちゃんのことは禁句のようになっていましたが、その晩、夫にふと「頭の骨を忘れてくるなんて、随分そそっかしい赤ちゃんだったのかもね」と話すと、夫は「君に似ている」と笑いました。夫の笑顔を見るのもまた久しぶりだと気が付きました。自分の悲しみや憤りで、赤ちゃん自身のことや家族のことに全く目を向けていなかった自分に気が付きました。

 あれから5年以上の月日が経(た)ち、温かい気持ちで赤ちゃんを思い出します。命とは何かを教えてくれた、ちょっとそそっかしい愛すべき赤ちゃん、そう思えます。赤ちゃんとの出会いを含めた私たち家族の今が穏やかであるのは、あの時の院長先生のおかげです。たくさんの生死を目の当たりにされた上の言葉だからこそ、私たち家族の命と同じくらい大切なものを救ってくれた、そう思っています。