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【一般の部】<入選>
「ありがとう」


岩間 泰子(東京都)

 私は息子から、「お母さん」と呼ばれる事はおそらく一生ないであろう。そして、息子と手を繋(つな)いで歩くことも、おそらく一生できないだろう。9歳の息子は、話す事も、歩く事も出来ない。今までずっと、ずっと当たり前の事だと思っていた。歩いたり、話したりする事。当たり前に出来るものだと思っていた。でも私の息子にはそれが出来ない。私は、障害児を授かった。

 私の息子は、「モワット・ウイルソン症候群」という難病を抱えて生きている。これまで何度も発作を起こし救急車で運ばれて、その小さな体に無数の鎮静剤を投与し、「このまま生きて家に帰れるだろうか」と何度思ったかわからない。1歳を過ぎても歩くことはおろか、お座りさえ出来ず、目線も合わないし意思表示も無い。でも、それでもいつか突然歩きだして、ある日突然喋(しゃべ)りだすのじゃないかと、本気でそう思っていた。だけど、私の息子の成長は皆無に等しく、入退院を繰り返しては他の子と差が拡(ひろ)がるばかり。外に出るのも段々(だんだん)と億劫(おっくう)になり引きこもってしまうようになった。ネットでこの障害の事を調べてみても何の情報も出てこない。私達(たち)はこれからどうやって生きていこうか、今後はどうなるのだろうか。途方に暮れる毎日だった。世間から取り残されてしまったような、そんな気さえした。

 息子を診断してくれた先生は私達に最初に言った。「一番大切な事は、家族が笑ってハッピーに生きることです」と。私は、正直この言葉の意味を理解する事が出来なかった。ただ、頷(うなず)くだけだった。それからの診察でも先生は一つ一つ丁寧に、そして言葉を選びながらいつも真剣に私の話を聞いてくれた。そんなやり取りをしていく中で、私は「ハッピーに生きる」ことの難しさを感じ始めた。考えれば考えるほど難しい。そして先生の診察を受ける度にこの「笑顔でハッピーに生きる」という言葉の重みを感じていた。

 私達夫婦は少しずつ、このままずっと家族3人で生きていくのだろうか、と考え始めていた。脚が3本じゃグラグラしないだろうか、4本になって初めて地に脚がついて安定するのかな…。そんな事を感じた。でも次の妊娠…。すごくすごく不安だった。怖かった。次も障害のある子供を授かる場合だってある。その時私はどうすればよいのだろう。そんな気持ちを全て先生にぶつけてみた。すると先生は言った。「岩間さんのこれまでの苦しみ、悲しみ、そういった全ての思いは誰にもわからない。岩間さんにしかわからない。僕は間近で聞いているから少しは気持ちがわかるけど、全てはわからない。でも、寄り添う事は出来る」。先生は1つ1つ言葉を噛(か)み締めながらゆっくりと穏やかにそう言った。私は、張り詰めていた心がすーっと抜けていく感じがした。そして決めた。「どんな子であれ、授かった大事な命、これは神様からの贈り物なのだ。何かあったら生まれたとき考えよう。」出生前診断をしない決断をした。私達の時代は、検体を海外へ出してその後わずか2週間余りで今後の道筋を決めなければならない、そんな時代だった。制約もあるし、倫理性も計り知れない難しさが問われていたと思う。でも命の尊さ、授かる事が出来た慶(よろこ)び、先生の言葉、一番大切なことは何かを思いながら不安と闘い、10か月間を過ごした。

 そして無事に産まれた時、息子がお世話になった何人もの先生が分娩室へ来てくださり「元気な赤ちゃんだね!」と言葉を頂いたことを意識が遠のきながらも今も鮮明に憶(おぼ)えている。2人目の誕生は、家族に花を咲かせてくれて、明るい風を運んできてくれた。そして2人の子供は私の人生に彩りを加えてくれた。

 生きることは苦しいし、辛(つら)い。でもその先に、ほんの小さな光が見えるから頑張れる。濁りなく、輝いているように私には見える。息子と出逢(であ)って9年、正直辛いことの方が多かったかもしれない。でも、何より大切なことを教わった。たくさんの人に支えてもらい、こうやって日常を送れる事。当たり前のことがどれだけありがたいことなのか、どれだけ難しいことなのか、そのことを子供が教えてくれたから、だから幸せを感じる。

 私は今日も、子供達の笑顔に出会える。これからもずっとずっと、彩りを加えてくれる、そんな子供達と共に生きていけることに、ありがとう。そして、支えてくれている全ての人々にありがとう。

 今日も、家の中には花が咲いている。時々しおれてしまいそうになりながらも、「ごめん、ごめん」と言いながら水をあげている。