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【中高生の部】<最優秀賞>
「中三の夏」


佐藤 顕子(埼玉県)

 夏。それは一年の中で最も盛り上がる明るい季節。しかし去年の夏だけは違った。

 「ババが倒れた」。メール受信ボックスには目を疑う内容のメールが溜(た)まっていた。その内容を現実として受け入れられないまま、私は外出先から病院まで全力疾走した。そして待合室にいた家族の顔を見るとたちまち「なんで?」という言葉と涙が溢(あふ)れた。息を整えて緊急治療室に入るとたくさんの機器に囲まれて目を閉じている手術後の父が目に入ってきた。大柄な父に似合わないその姿に目を背けてしまいそうになりながらとめどなく流れてくる自分の涙に自分自身驚いていた。そう、父は脳内出血で突然倒れたのだ。その日の看護師さんの名札にはYと書かれていた。

 翌日父は頷(うなず)くことも喋(しゃべ)ることも僅(わず)かながら出来ていた。弟の少年野球チームのコーチをしていた父は「ここはどこですか?」と聞かれると「にいがた」と言った。新潟は野球チームの合宿予定地だった。こんな時でも野球のことを考えているんだと思うと思わず笑ってしまって「ここは埼玉だよ~」とみんなにツッコミを入れられていた。

 2日後、私は母の「今日は休んだ方がいいんじゃないの?」という忠告を無視して部活に行った。筋トレが終わり後はブラシ掛けをすればお昼ご飯という時に私はコートブラシに左足を引っ掛けた。真っ赤になった自分の足首と靴が目に入り、私は頭の中が真っ白になった。当時私の肩を組んで支えてくれた友達によると私はひどく震えていたらしい。当時の記憶は曖昧(あいまい)だが立てないと感じた時――お父さんがああいう状態なのに家族にさらに迷惑をかけることになるかもしれない――という強い恐怖と不安が痛みより先に私を襲ったのは確かだった。診察の結果、左アキレス腱(けん)断裂と告げられた。

 8月初日、人生初の入院生活が始まった。その整形外科の看護師さん達(たち)は仲が良い上に明るい方が多く、楽しく過ごすことが出来た。またなんといっても家族の見舞いは安心ができ、特にいつも明るすぎて騒がしいと感じる祖母が見舞いに来てくれた時は不思議と笑顔になっていた。そしてあっという間に1週間が経(た)ち、退院をしてやっとの思いでリビングに着くとそこには『あきこちゃん退院おめでとう』と書かれたケーキがあった。

「お父さんも早く退院できるといいね」

 8月9日、1週間振りに父の顔を見ると思わず泣いてしまった。しかし、父の脇に立つ母の肩を叩(たた)いて「左の頭の管が抜けたの! 成長成長!」と嬉(うれ)しそうにしている女性がいた。看護師の山田さんだった。

 8月11日、父は熱はあるものの一般病棟に移された。父は大きな目を見開いて家族写真を見たり、私が祖母にツッコミを入れると「またやってるよ」と言わんばかりに微(ほほ)笑んだり、野球のボールを握ったり、寝返りを打ったりと奇跡とも言うべき回復力を見せた。

 8月13日、この日は昼にかなりの高熱を出し前日ほどの反応は見せなかったが、私の利き手である左手を強く握ってきた。私は驚きとともに無理しているのではと心配になり「わかってるよ、わかってるよ」と握り返した。本当は何もわかっていなかったくせに。

 8月14日、CT検査をしに行こうとした時父の容体は急変。脳室が爆発し機能しなくなってしまった。「生きていても植物状態」「今夜が山」という私には受け止めきれない言葉が飛び交った。しかし、父は最期まで他人思いだった。私達家族が気持ちの整理がつくのを待つかのように、お医者さんの予想をはるかに上回り3日間ずっと脈を打ち続けた。私達家族も3日間病院の待合室で寝泊まりさせて頂いた。

 8月17日午後4時半頃。心拍数が急に下がっていき、耳に付く程聞いたピッピッという音ともう動かない心臓に空気を送り込む機械音が耳で響きながら「午後4時45分ご臨終です」という声が聞こえてくる。やがてその音は溜め息となり、嗚咽(おえつ)へと変わっていった。椅子に座っている母の背中を山田さんがさすっている。母の背中はいつもより小さくて少女のように見えた。父の体を拭き始めると家族の口から次々に出てくる「ありがとう、お疲れ様」。まだ温かい父の顔は優しく、堂々としていた。父と共に緊急治療室を後にする時、山田さんが私と弟の肩を叩いて「頑張ってね」と言った。その時、私の目に映った山田さんの表情は複雑で言葉では表せないものだった。ただ「山田さんに胸を張ってお礼を言える人になろう」そう思った。

 父の命日に行われた、父がコーチを務めていた野球チームの試合の終了時刻が午後4時45分だったそうだ。その試合は接戦の末の勝利。父は最期まで、いやこれからも大好きな野球のコーチとして、私達のスターとして輝き続けてくれるだろう。