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【中高生の部】<優秀賞>
「T先生のレンガ病院」


八木橋 由祈子(千葉県)

1 押せない鍵盤

 「親指、どうしたの?」

 母にそう言われて、私は音符を睨(にら)み付けていた眼を自分の指に重ねた。まったく気付かなかった。自分の親指が曲がっていることに。3兄弟の中で、一番元気に産まれた私は「怖い」とか「嫌だ」というよりも、その時、ただただ「驚き」だけを感じていた。

 特に2番目の兄は産まれた時、肺が十分に膨らまず集中治療室に入れられ、しばらくの間、入院したらしい。その後、兄は健康に過ごして今に至るが、今でもよく骨を折っては部活の後輩に心配されていた。一方の私といえば、病気とは縁がないようで風邪をひくこともほとんどなかった。それだけに、私は自分の親指を見つめながら、ただただ静かに驚いていた。

2 パーはグーよりも強いから

 母が連れてきてくれた病院は、私の想像とはかなり違った。偏見かもしれないが、私のイメージは清潔感のある白くて大きな建物、それが病院だった。しかし、これから私が1年間お世話になることとなったその病院は、レンガ造りの建物で、「三匹の子ブタ」を思わせた。病院の中は人でいっぱいで、包帯を巻いている人もいた。名前が呼ばれて診察室に入ると、T先生がにっこりと笑って、椅子を示し、「どうぞ」と言った。私は、いったい何をするんだろうと緊張していたが、続いたT先生の言葉は意外なものだった。

 「ジャンケンしようか」

 T先生は、いたずらっ子のような顔をしてまた笑った。それから必ず診察の最初にジャンケンをするようになった。先生はグーばかりを出し、私はパーばかりを出した。このジャンケンに意味があったと知ったのは、中学生になってからだった。T先生は私にパーを出させることによって、手を広げさせ、親指が伸びているかを確かめていたのだ。私はこの話を母から聞いて、すっかり感心してしまった。「パーはグーより強い」というのがルールだが、本当の意味で勝っていたのは、グーを出し続けた先生の方なのかもしれない。

3 まっ白な手

 T先生の病院に通い始めて、少し経(た)った頃、私は親指が曲がっている右手の型をとり、石膏(せっこう)のモデルをつくった。棒キャンディーみたいに石膏でできた私の右手が棒にささっていて、ずっしりとした重みがあった。私は最後に記念としてその右手をもらい、「珍しい物を手に入れた」と喜んだ。たびたび右手に重ね、

 「そっくりだね!」

 と興奮しながら叫んだのを覚えている。私は自分の部屋の棚にそのまっ白な右手を飾った。

 今、その右手を見ると私が部活をしていることや、お琴を習っていること、当たり前だと感じていることの重要さが「白」を通り抜けてひしひしと伝わってくる。まっ白な右手は「珍しい物」ではなく、「大切な物」に変わりつつあるのだろう。

4 たなばたさま

 私は毎回診察を待っている間、病院の本棚にあったピアノ付きの、童謡がたくさん載っている本で遊んでいた。親指は使えないのでそれ以外の指で鍵盤を押して演奏した。

 いつも弾く曲は決まっていて「たなばたさま」だった。「ささのはさらさら、のきばにゆれる」。有名な曲なので知っている人も多いと思うが、これが本に載っている中で一番簡単な曲だったのだ。何十回弾いてもリズム良く演奏できなくて、5本の指がすべて使えればいいのにと思った。この時初めて自分の親指が曲がっていることを「嫌だ」と感じた。

 T先生の治療は1年間におよんだが、その間私が苦痛を感じたのはその時だけだった。

 最後の日も私はジャンケンに勝った。T先生は私に、あのピアノ付きの本をくれた。私はその場で本を開き、ページをめくった。

 「たなばたさま」のページを開き、鍵盤に指をおく。せっかく5本の指が使えるのに、私は嬉しくて親指だけで演奏した。リズム良く演奏はできなかったけれど、私はただただ嬉(うれ)しくて、親指で弾き続けた。

5 そして、今

 私はこの作文を書くにあたって、母に質問したり、幼稚園のころを思い出したりしたわけだが、病気のことを思い出しているのに、まるで楽しかったことを思い出しているみたいだった。そのおかげか、私は幼い頃から病院を怖いと思わなかった。私にとって「病院」はT先生との思い出の場所なのだ。

 今でもときどき、T先生と話すことがあるが、まるで家族のような親しみを感じる。私は、親指を治してくれたのはT先生で良かったと思う。