イベント・その他
健康・医療
新規ウィンドウでリンクします。

【中高生の部】<優秀賞>
「僕が生きる意味」


小山 太希(宮城県)

 「生きることにはどんな意味があるか」

 テレビなどでよく耳にする質問の言葉だが、僕ならどう答えるだろうか。まだ小学生だったあの頃は、そこに意味があるなんて考えたこともなかった。

 その日は突然やってきた。いつものように野球の練習をしていた。もうすぐ最上級生になるとワクワクしていた冬。夜中に何度も起きてトイレに行った。すごくのどが渇いて水をたくさん飲んだ。夕飯の味付けが濃くてのどが渇いたのだと思った。しかしそれを異変と感じた母が僕を病院へ連れて行ったのだ。尿検査、血糖値の測定、様々な検査の後に聞かされた数値も、それが高いのか低いのか、それがどういうことなのか、僕には全くわからなかったが、すぐに別の病院を紹介されたことから、何か良くないことが起こっていると感じた。一体何が起こっているのか、僕の疑問に答えてくれる人もいないまま、僕は入院を言い渡された。とは言え、1週間程度のことと気楽に考えていた。

 その後は何かを考える余裕もないほどたくさんの検査をした。点滴の針に耐えられず、貧血を起こして初めて、僕の血管は他の人より細いことを知った。昼食も食べられないまま検査が続き、やっと夕食が来た頃には、もうお腹(なか)がぺこぺこで、一気に食べようとした。そこで看護師さんが言った。

 「血糖値を測って、注射をしないと食事はできないのよ」

 ショックだった。どうやら僕は本当に病気になってしまったらしい。僕はこのめまぐるしく過ぎた数日間、一番疑問に思っていたことを母に尋ねた。

 「僕はどんな病気で、いつ治るの?」

 「太希の病気は、これから一生つき合っていく病気なんだよ。血糖値の測定や注射も、1人で出来るようになろうね」

 母が言った言葉は受け入れがたく、僕はパニックになった。今まで普通に生きてきた僕が、1日に4回も5回も血糖値を測定し、注射をしなければならないという現実。大好きな野球を続けることはできるのか、いや、学校に行くことは出来るのか、それどころか家に帰ることはできるのか……。不安で押しつぶされそうだった。

  僕の病気は「一型糖尿病」だということが分かった。この病気は、日本では10万人に1人か2人程度発症するものらしく、何かの原因で血糖を維持することが難しくなるそうだ。主治医の先生が丁寧に説明してくれた。しかし、そんなことより早く退院して運動がしたかった。入院中、かろうじて許可されていたのは病院内の散歩だ。トレーニングのつもりで散歩をしていると、急に頭痛と寒気がした。血糖を測ると低血糖になっていることがわかった。ブドウ糖を飲んだ。運動をすると血糖が下がるということを僕は体で知った。だから自分でコントロールをすることが大切なのだ。僕は少しずつ自分で血糖測定をしたり、注射をしたりすることができるようになった。主治医のK先生とのランニングも許可された。大丈夫、野球もできるようになると励まされ、僕は少しずつだが前向きに病気をとらえることができるようになっていった。K先生は一緒にランニングやキャッチボールをしてくれた。そのK先生の趣味はギターを弾くこと。退院が近づいてきたある日、僕が大好きな曲『あとひとつ』と『キセキ』を弾いてくれた。

 "1人で頑張りすぎなくていいんだよ。みんな誰でも助け合って生きてるんだし、大丈夫。大好きな野球をいつまでも続けてね"

 というメッセージを添えて、CDを作ってプレゼントしてくれた(自分は1人じゃない。病気とは闘うんじゃなくて一緒に生きていけばいいんだ)。温かく僕を見守ってくれた堅田先生や病院のスタッフとの出会いに感謝をしながら、31日間の入院生活を終えた。

 学校生活にも戻ることができた。友達にも僕の病気を理解し、協力してもらう努力をした。分かってくれる友達の存在はありがたかった。

 今やっと「生きること」の意味がわかったような気がする。生きることとは、多くの困難にぶつかることもあるが、様々な事に触れ、命をつなぎ、たくさんのことを学ぶことだ。そして、出会った人達(たち)に、懸命に生きる姿を見せることだ。

 僕はこの病気になってから、多くの人との出会いに感謝し、つながりを大切にしたいと思うようになった。将来は、福祉や医療の仕事をしながら野球を続けたいと思っている。実現するのは容易ではないだろう。でも大丈夫だ。僕は1人ではないし、僕がそうやって生きていくことに「意味」があるのだから。