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【一般の部】<入選>
「飛べ、あの空に向って」


加賀 麗子(埼玉県)

 平成7年の6月私は脳梗塞を患った。

 言葉と、右の手足に後遺症が残った。それに思考もまだらで、掘り下げて物事を考えることもできなかった。まさに、2、3歳くらいの幼児並み。恥ずかしいという感覚も頓挫していた。ところがそれが幸いしてテニスに没頭でき、最大のリハビリとなり奇跡が起きた。人生何が幸いするかわからないものだ。

 長年親しんだ仲間たちと一緒に練習したい。だが、足は引っ張りたくない。そこで始めたのが壁打ち。少々背中の丸まった足の不自由なばぁーさんが、何を血迷ったか、学校の校庭で壁打ちをしている。ボールを追っかけては転び、はたまた同じ場所で足踏みをしている。今思うとまるで妖怪変化。私は、上手(うま)くなりたい一心でボールを追っかけていたのだが。

 そんな私を犬の散歩中に見たええ格好しいの夫、俺が壁のかわりになるから、校庭での壁打ちやめろよと言う。たとえ病気だったとしても、あれが我が女房とは信じたくもなかったろう。すぐさまボールを買いに走った。

 桜の花が満開の季節、私は壁打ちを卒業した。

 道路を挟んだ反対側にテニスコートがあり、夫婦2人の練習が始まった。夫は、ラケットはもちろん、テニスのボールさえ手にしたことのないずぶの素人。それも、60過ぎだ。コントロールの悪さは並大抵ではない。野球のやり過ぎで肩を痛めたと弁解していたが、その必要など全くない。ボールになかなか反応しない私と、どっこい、どっこいと言える。

 天使が舞い、運が上向きになる。欠けている脳がそう囁(ささや)く。希望の幕開けと言いたいところだが、上達には程遠かった。

 だが、休みなくボールが飛んで来る。何度か私の試合を見ている夫は、エキサイトし、辛辣(しんらつ)な言葉を投げかける。もっと機敏に動けとか、気持ちの持ちようだとか言いたい放題。夫の言っていることはその通りだ。頭がいかれたとはいえ、何十年も続けたテニスだ。何となくはわかるが、手足が思うように動いてくれない。それでも時には、いいタイミングで打てたと顔をほころばせて褒める。

 夫だという安心からか、派手に転ぼうが、タイミングが外れて空振りしようが、まったく気にならなかった。

 そんな日が続くと、諸々(もろもろ)のことが心に芽吹き始める。そして自然と縮こまった体がときほぐれ、気持ちがおおらかになる。そうなればしめたものだ。クエスチョンマークに磨きがかかり、なぜ転ぶのか? なぜ空振りするのか? なぜボールが飛ばないのか? 夫とのこの練習で私は、納得のいくまで考える手筈(てはず)を胸に刻んだ。結論をだすのに時間はかかったが、大きな収穫だった。つまり、奇跡に向かっての助走に、大いに弾みをつけたことになる。

 暑さも格別のある日、私は注意力散漫だった。それでも夫はマシンのようにボールをだしていた。そんな時である。まさかのボールに飛びついてボレーをしていた。バックボレーだ。テニスをしている人であれば誰にでもできることで、最高のプレーをしたわけではない。だが今の私としては驚きの動作で、よくぞ反応したと言える。「ナイスショット!」。夫のその声が、澄みきった空にこだまし、蝉(せみ)の鳴き声とともに弾けた。涼しい顔でラケットを小脇にかかえ、そして親指を上に突き出し、「ナイスナイス」とも言った。

 考えてみれば、夫と過ごした40年近い長い年月の間で、これほど2人の気持ちが一つになったことがあったろうか……。私は嬉しさのあまり、夫のもとに小走りで駆け寄った。そして夫に握手を求めた。

「あれ? どうしたの? 血が出ているよ」

 握手した夫の人さし指が、血まみれになっていた。あろうことか、血豆が破れて赤剥(む)けになっていたのだ。それもそうであろう。トータルして1000個ちかいボールを、2時間ぶっ通し投げ続けていれば、誰だってそうなる。ましてや初心者。加減もへったくれもない。前から血豆ができていたのだろう。

 涙が頬をつたわったとしても当たり前だ。

 誰もが言うように、私の病に奇跡が起きたとすれば、この時をおいては考えられない。もちろん親友や仲間の手助けがあったことは言うまでもない。そしてその人たちを蔑(ないがし)ろにする気など更々ない。奇跡に助走をつけたのは、この人たちだ。その敷かれた助走を奇跡に向かって夫と私は、澄み切った青空に向かって高く、高く飛んだ。

 この2人、ごく普通の、どこにでもいる夫婦だ。特別、夫婦仲がよかったわけではない。人並みに喧嘩(けんか)もした。そして、別れると騒いだことも一度や二度ではない。しかしこの練習が、一番のリハビリとなり奇跡を起こした。それはまさしく夫が私にくれた、最高のプレゼントだ。あれから15年。脳の回線も繋(つな)がり、仲間と一緒にテニスモドキを楽しむ。そしてばかっ話に興ずる。煌(きら)めく幸せな笑い声が、シャボン玉のように空に舞って散った。