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【一般の部】<入選>
「繋いでもらった夢」


元山 歩栞(兵庫県)

 私は聴覚障害者だ。高校3年生の頃に突発性難聴を発症して以来、私は人工内耳を装用して聞こえを補っている。

 高校生になるまでは大きな病気をすることなく元気に過ごしていた私だったが、高校3年生になってすぐに左耳の聴力が落ち、病院で検査をすると突発性難聴だと診断された。入院して治療することになったが、左耳に聞こえが戻ることはなかった。あまりにも突然に聞こえを失ったが、友達と一緒に授業を受けられたし、部活をすることもできたため、「不便さはあっても片耳でも何とかなる」と能天気に過ごしていた。また、突発性難聴は片耳にしか起きない、再発することはないと聞いていたため、耳を気にして生活することもなかった。

 しかし、12月に右耳の聞こえづらさを自覚し、すぐに治療を始めたが治療の甲斐なく聴力は徐々に低下、卒業式の前日に目覚めたとき、私は無音の世界の住人となっていた。急いで病院へ行き、診察を受けたが医師からは「聞こえが戻る可能性はほとんどありません」と言われた。それでも諦めきれず、何か治す手立てはないかとインターネットで情報を探し、鍼(はり)治療など様々なことを試したが、右耳に音が戻ってくることはなかった。周りの音も自分の声も聞こえない。まるで出口のない真っ暗な場所に一人取り残された気分だった。なんで自分が…と落ち込んだが、私は後ろを向いて過ごすわけにはいかない理由があった。それは4月から専門学校への進学が決まっていたからだ。中学生からの夢だった理学療法士になるための進学だったため、私は諦めたくないというよりも諦めることが出来なかった。

 どうにかして聞こえを戻したいと医師に相談したところ、一つだけ方法があると言われた。それが人工内耳との出会いだった。

 全国で人工内耳を扱っている病院が少なく、診察を受けるのにまず3か月かかると言われていたが、事情を話すと大学病院の教授の先生がすぐに診察して下さった。1か月後に専門学校へ入学すること、どうしても夢を諦めたくないことを伝えた。

 先生からは人工内耳を使えば聞こえるようにはなるが、個人差があり、どこまで聞こえるようになるかはわからないこと、手術後、リハビリが必要で入学式には間に合わないかもしれないと言われた。それでも、ほんの数%でも可能性があるのならと手術をお願いした。

 3月12日、手術を行った。予定時間より長引いたが、電極はきれいに入ったと先生に言われ、安心しながら眠った。そして手術から2週間後、音入れを行った。それは入学式の1週間前のことだった。とても楽しみにしていた音入れ。しかし初めて聞いた人工内耳での音は、私が以前まで聞いていた音とは全く違った。周りの音をすべて拾い、何の音かわからない。人の声は抑揚がなく、まるで宇宙人の声だった。さらに言葉を理解できず、会話もままならなかった。「これじゃ、入学できない」と感じ、涙が溢(あふ)れた。その様子を見ていた先生から「入学は来年にした方がいい」と言われたが、ST(言語聴覚士)の先生は違った。「大丈夫。毎日の装用を続ければ入学式までにきっと会話できるようになるから」。内心、半信半疑ではあったが、STの先生から言われた通りに毎日装用してたくさんの音を聞いた。すると不思議なことに人の声に近づいていくのが分かった。そして、迎えた入学式。私は静かな場所で一対一での会話ならすることが可能となっていた。

 あれから4年の歳月がたったいま、私は最終学年となり、実習や国家試験に向けて勉強をしている。入学してから幾度となく大きな壁にぶつかり、その度に理学療法士に向いていないと感じた。4年間の内に反対側にも手術を受け、聞こえは随分と良くなったが、どれだけ努力しても私には聞こえの限界があり、健聴者の友達とは違う方法でコミュニケーションを取らないといけないときがあると知った。悔しい思いや悲しい思いもたくさん経験した。障害を言い訳にして逃げ出したこともあった。そんな時、いつも主治医の先生やSTの先生に「障害があるからこそ、誰よりも近くで患者さんの気持ちに寄り添える理学療法士になれる」と励ましていただいた。

 あの時、人工内耳と出会ってSTの先生の言葉が無ければ私は今、理学療法士になるという夢を追いかけ続けていられなかった。たくさんの医療従事者が私の夢を応援し、繋(つな)いで下さったことで今の私がある。だからどんなに勉強が大変で苦しく、挫(くじ)けそうになっても前を向いて歩き続けられる。

 聴力を失って私の夢に続きが出来た。理学療法士になったら、主治医の先生やSTの先生のように患者さんに寄り添える医療従事者になる。障害や病気でなく、患者さんをみられる理学療法士になりたい。