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【中高生の部】<優秀賞>
「私の弟」


石川 瑞季(東京都)

 普段は弟のことは滅多に思い出さない。今ではこの生活が当たり前になってしまった。けれど、ときどきふとした瞬間にたくさんのことを思い出す。私には五才年下の弟がいた。素直でおとなしくて、本当にかわいい。私は弟のことが大好きだった。

 弟は重い病気を患っていて、食べることも話すことも歩くこともできなかったけれど、不思議と何を訴えているのかはわかった。その日も、薬を飲んで落ち着いていた。夜にはいつもと同じふとんに入り、いつもと同じように眠りについていたはずだった。

 けれど、夜中、弟は亡くなった。

 そのとき私は両親の声で目が覚めた。

 びっくりしてとび起きてかけよって触れた弟の手はまだ眠っていると思えるほど温かかった。

 私はその時のことをものすごく鮮明に覚えている。鳴っていたAEDの音や、どこに寝ていたか、救急車を呼ぶときにされた質問、家がマンションのため私が救急隊員の人たちを案内したこと、弟が運ばれたあとに母と妹と三人で「はるくんが、助かりますように。」と祈ったこと、病院には白と紺色のワンピースを着ていったこと、次の日はコンビニでアイスを買って食べたこと、数えだしたらきりがないほど沢山のことが私の頭と心の奥底にしみついている。おそらくこの記憶は一生忘れないと思う。

 それからは、家に帰っても、何かが足りないという感じのする日が続いた。「あ、いないんだ。」と思う。自分にとって大事な人がいなくなることは心に大きな穴が開くことと同じなのだ、と知った。

 あの頃は、私の家には週に数回、訪問看護師さんが来てくれていた。私が小学校から帰ると看護師さんが家にいて母と一緒に「おかえり」と言ってくれる。弟には本を読んだり歌を歌ったり…。私も一緒に好きなアイドルの話をしたり新しい洋服のコーディネートを相談したり。看護師さんたちと話をしたいことがたくさんあって、次に訪問に来る日が待ち遠しかった。母には弟の看病についてアドバイスしてくださったり、自宅で過ごす弟の生活を支えてくださった。正直、弟の介護は家族にとってとても大変だ。少し具合が悪いとすぐに入院になる。どんどん大きくなるのにお風呂にいれるのも、ベビーカーに乗せるのも、階段を上り下りすることも母はきつそうだった。

 現代は医療の発達のおかげで重い病気の子も長生きできる。けれど寝たきりで過ごすことは本人も多分辛かっただろう。あのまま大きくなっていたら、と思うと複雑な気持ちもある。弟は生活面でいえば私たちと比べてなにもできなかったけれど、それ以上に私たちを和ませてくれたり、思いやりの気持ちをひき出してくれた。圧倒的に弱い人たちを前にすると人は優しくなる。普通の人が救われるのではないかと思う。私は弟がいたから安心して家に帰れたし、「いつもどおりだ、」と思えた。親戚も近所の人も、通っている教会の人も、弟がいるとかならず何か話しかけてくれる。弟は人気者だった。家族全体が弟のために、という思いで一つになった。弟は圧倒的に弱いけれど、ものすごく強かった。

 私自身はあまり重い病気にかかったことがなくてお医者さんについてはよく知らない。弟のために来てくれていた訪問看護師さんの優しさに触れ、弟の嬉しそうな様子を見ていているうちに私はどんどんお医者さんになりたい、と思うようになった。弟がいなくなってから、私はそれまでほとんど触ったことのないピアノの前に座って「花は咲く」を毎日弾いた。毎日毎日弾いて気持ちがだんだん落ち着いていった。私は音楽が大好きで、助けられた。音楽には人を癒す効果があると思う。音楽の力を使って患者さんを癒せたらよいと思う。天国の弟にこの作文が届いてくれたら嬉しい。