佳 作

「『心豊かな、心通うK病院』ありがとう」

中村溶子(47歳)
岩手県北上市・主婦

 

 一九九九年十二月十日、私は「がん」の告知を受けた。明るさと元気が服を着て歩いているように「今日も元気だ、ご飯がうまい」と、いとも単純に楽しく毎日を生きていた私にとって、天と地がひっくり返るほどの衝撃だった。何か嫌な予感がしてはいたけれど、まさかの告知に、傍らの夫は押し黙り、身じろぎひとつしない。ふーっと深呼吸をして、私は担当の医師の目を反らさず、真っすぐに見た。その先生はまだ若く、その秋に結婚したばかりのまじめそうな人だった。「中村さん、闘いましょう」。先生も私の目を反らさず言った。「はい、闘います」。私も一気に答え、ここから私のドラマが始まった。今思い出しても緊張する一瞬だった。それまでの私の人生が、この一瞬で、木っ端みじんにされたような、今までにない緊張だった。そばにいた看護婦さんが、私の肩を抱いて「泣いていいのよ」と言いながら、私の代わりに泣いてくれた。涙をいっぱいためて泣いたその顔が、とても温かく感じられ、私はありがたかった。あの時、先生にも看護婦さんにも事務的な顔をされていたら、私は緊張に耐えきれず号泣していたと思う。あの「闘いましょう」は、私にとって「勝ちましょう」の勝利宣言に聞こえ、勝つために、この病院にすべてをかけようと私の心が「はい、闘います」と告げた。岩手県立K病院五階内科病棟の小さな部屋は、精一杯の決意と、緊張感とでいっぱいだったと思う。それから八か月、私はこの病棟で、がんと闘った。

 生まれて初めての抗がん剤は、想像以上の副作用で、あまりにもつらく、これから先の治療に耐えられるのかどうか、自信がなくなってしまった。幻聴や幻覚が現れ、意識があるのか、眠っているのか判断が出来ず、「私、変です」と何度も看護婦さんに、訳のわからないことを訴えた記憶がある。その度に忙しい素振りも見せず、「大丈夫、薬のせいだから、心配しないで」手を握り、背中をさすり、抱き締めてくれる看護婦さんは、どの人も温かだった。

 吐き気や熱にうなされ、食事の出来ない時のこと、「何か食べられそうな物、頑張って思い出して」と励まされた。その心に応えようと、私も一生懸命考えた。そして思い付いたのが、冷やし中華だった。厳寒の二月、私の家族が北上中を探したがどこにもなかった。その日の夕食時、看護婦さんが持って来たのは、何と中華ザル……。「ちょっと違うけど、ちょっとだけ似てるかなー」って、さりげないその笑顔は、入院してから初めて泣いた私の涙で、曇って見えなかった。窓の外は雪、体は抗がん剤でボロボロ、でも私の心は感謝と感動であふれていた。私はがんになったけれど、何て幸せなんだろうと心から思った。絶対に病気になんか負けない、いつの日か、この話は笑い話にして見せると自分に誓った。白血球の数値が低く、無菌に近い個室に長い間いたが、私はK病院の素晴しいスタッフのお蔭で、一日一日を前向きに送ることができ、それまで見過ごしていたささやかなことに、感謝出来る自分になったと思う。

 私のがんは胃に出来た悪性リンパ腫で、抗がん剤を三週間おきに一度というレジュメに沿っての治療がされていた。季節は冬から春となり、桜の頃も過ぎ、北上は緑の美しい五月になっていた。弱音は吐かないと決めていた私だが、長い治療の結果、がんが消えていないとわかった日、私の周りが皆、暗い顔をしていた。その日の青空は、はるかに遠くて、まぶしく見えた。そのころの私は、副作用で、髪は抜け、まゆもまつげもない顔に、かつらをかぶり、手は抹消まっしょう神経の障害で指先がしびれ、ペンやはしを持つとプルプルと震えていた。さわやかな季節と、自分とは、あまりにも差があった。なんでもないように暮らしていた頃が、懐かしく、それが幸せだったのだと、胸が締め付けられるぐらい感じた。が、負ける訳にはいかない。強気で夢を持ち、それを家族や担当の先生、看護婦さんに語った。私の夢、それは七月二十五日、午後一時のフライトでヨーロッパに行くことだった。がんが消えてないのにとんでもないと言われるのは、覚悟の上だったが、このまま受け身でいるのはもっと嫌だった。わがままのような私の夢に、「そうか、ヨーロッパに行きたいのか。いい所だもの、行かせてあげたいな」と言ってくれた先生の顔を私は一生忘れない。一週間、先生方も私のために、がんを消すために、真剣な話し合いがあったと後から聞いた。結論は抗がん剤と放射線の併用と決まった。私の心が変わったからだろうか、今までとは全く違う風が部屋中に吹き、皆の心が一つになったと私には感じられた。モルヒネまで打つほどつらい時もあったが、私も夢を目指して頑張った。そして私たちは勝った。一年遅れたが、二十一世紀最初の夏、私は夢をかなえた。「がんは無いよ。元気に行ってらっしゃい。私たちも頑張ったんだよ」と笑顔で話す先生に、私たち家族も笑顔満開で「行って来ます」とヨーロッパへ出発した。心の中は感謝でいっぱいだった。先生ありがとう。